週刊朝日 介護コミュニケーション

出前医療の医師

医療法人喜望会
理事長 太 田 秀 樹
-東北新幹線の小山駅から車で五分。
  駅東側に開けた新興の住宅街の角に「医療法人喜望会・おやま城北クリニック」の看板を見つけた。 四十坪ほどの敷地に建てられた診療所はまわりの民家とほとんど変わらず、注意深く見なければ通り過ぎてしまいそうな建物である。
  簡易診療所は「超軽量診療所」と一般に呼ばれ、設備投資を抑え、患者の来院者が少なくても経営に無理が生じないように考えられている。待合室は狭く、十人が腰掛ければいっぱい。この診療所が建てられた本当の目的は、外来診療の医院ではなく往診治療の拠点である、と聞いて、なるほどと思つた。
  院長の太田秀樹さん(47)がここにクリニックを開いたのは一九九二年。厚生省のまとめたゴールドプランが、福祉施設の整備とともに揚げた「在宅介護の充実」という指針を打ち出した時期と重なる。以来、太田さんは外来診療を午前中に集中させて、二十人から三十人患者にとどめ、大半の時間を患者の自宅を回る往診に費やしてきた。
  現在、往診している患者数は約百人。太田さんを含む医師五人が曜日別に担当を決め、一日七人から十人の患者宅を回っている。
  平均すると、一人の患者に対して月に二回の往診を行い、内科と外科の専門医が交互に訪問できる態勢を取っている。症状の悪化している患者には毎日、二十四時間態勢で対応することもある。
「もう九年目に入りました。医師免許を取って二十年ですが、その半分近くを在宅医療の現場で過ごしたことになります。人間の命にかかわる仕事が医師の仕事なら、患者の生活をすべてみて、すべてに責任を負う在宅医療こそが、医師の果たす役割だと思うのですが、なかなか、うまくいきませんね」
  太田さんはクリニックを立ち上げたころを振り返りつつ、介護保険がスタートした今日に至っても、介護にかかわる医師の意識改革が進んでいない、と指摘するのだ。介護と医師。この二つがどう結びついているかを考えるには、介護保険で、医師がどんな役割を担っているかを知らなければならない。
  介護保険制度では、介護サービスの利用を希望するには、申請時に「要介護度」の判定を受ける必要がある。判定は二段階に分かれ、身体の状況や痴呆の有無などを調査し、コンピューターによつて判定する一次判定と、専門家が最終チェックする二次判定がある。その二次判定に、医師は欠かせないのだ。
  さらに、介護サービスの現場では、看護婦が要介護者の自宅を訪問して点滴の管理や健康状態のチェックをする訪問看護サービスで、医師は看護婦からの報告を受けて的確な指示を出したり、自ら要介護者の自宅を訪問する訪問診療をこなしている。このように、介護保険の仕組みのなかで、医師に課された責任は大きい。だが、医師が積極的に介護の現楊に立ち入ることが少ないのは、在宅介護にかかわる医師を「福祉をやる医者」として格下に見る風潮が、いまだに医師同士の間に蔓延しているからかもしれない。
  日本医師会と各県医師会の持ち回りで主催する「プライマリーケア学会」が毎年、開催される。埼玉県医師会が中心に開催した介護保険導入直前の昨年会議では、患者に最も近い立場で診療を行う「かかりつけ医」の必要性が議論されているにもかかわらず、その取り組みに積極的に参加している医師は、ごく限られた人数であるような印象を受けた。
  現に、町の診療所を開業している医師は日々の患者数に一喜一憂し、大学病院の医師は、医師である前に専門的な研究のために診療を行うことを優先しているのが現実だ。
  十一月中旬のある火曜日、午後一時三十分。いつものように赤いセダンを運転して往診に出かける太田さんに同行することができた。助手席には、日頃、訪問看護に行っている三、四十代の看護婦が同乗する。この日の訪問は七カ所。栃木県小山市と隣接する栃木市や茨城県の結城市にまで足を運び、約二十キロ四方の移動になる。約五分で一軒目の家に到着。「ここの患者は酸素のボンベを使っているので、その管理が必要なのです。十分ほどで戻ってきますから待っていてください」太田さんは看護婦に、血中酸素濃度を測る「パルスオキシメータ」を持ったかを確認し、親類の家を訪ねるような感じで玄関に入った。
  ひと昔前なら、この患者を在宅で診られたかどうか難しいところだ。血中の酸素濃度を測るには、動脈から直接血液を採取して大がかりな機械を使わないと測定できなかったからだ。だが、「パルスオキシメータ」という手のひらに隠れてしまうほどの小さな機械でそれが可能になった。小型化した医頼機器の出現が、在宅医療の可能性を広げている。「次は誰だっけ」車に乗り込んできた太田さんが、カルテに書き込みながら話しかけると、看護婦はこう返答した。
「〇〇婆ちゃんです。今日はインフルエンザの注射ですから忘れないでくださいよ」カルテのファイルは薄い青が四冊、濃い青が一冊、赤が二冊。患者ごとに区分されている。色が濃くなれば、それだけ症状が重い。七軒のうち、この赤ファイルの二軒だけに取材同行が許可されている。
  次の目的地まで移動時間は約十五分。車中で太田さんは、自分自身が在宅医療を格下に見ていた時代があった、と打ち明けてくれた。
  太田さんは一九五三年に奈良県で生まれた。父親も医師で、医療となじみの深い環境のなかで育った。
「医者はしんどいぞ」という父の口癖を何度も聞かされていた影響か、医師という職業が本質的に、地位や名声とは無縁であるという自覚が自然に身についていた。
  だが十年前、自治医科大学の整形外科で若い医師を指導する立場にあった太田さんの環境は、開業医の父とはまつたく違うものだった。
「研究成果をあげるという使命感から、必ずしも必要でない検査を行ったこともあります。そんなとき、父が体調を崩し、診療所を手伝うことになって、患者一人ひとりの体調はもちろん、暮らしぶりも知らないと、本当の診療ができないことを初めて実感したのです。自分がかかわってきたものは『医学』で、父の仕事が『医療』だと思いました」医療とは、自然科学ではなく社会科学ではないかと気づいたのだ、という。例えば、配偶者を亡くした高齢者が後を追うように亡くなったりすることを、医学的に説明することは不可能だ。どちらかといえば、その高齢者が置かれていた環境や、夫婦間の愛情の深さなど、社会学的な分析が求められる。
「暮らしのなかに医療があることを認識したわけです。在宅医療というのは、『雪がとけたら水になる』のではなく『雪がとけたら春がくる』、そんな感性が求められる仕事だとわかったからこそ、熱中することができているのかもしれません」太田さんは、少し照れながら赤いファイルの家の前に車を止めた。同行する看護婦は一足早く別の車で到着していた。
「この患者さんはまだ五十歳なんです。事故で首から下が硬直した状態にあります。奥さんは台湾の人でね。とっても明るい人です。いつもこちらが励まされるくらい」太田さんの説明を聞いて気がついたのだが、事故で寝たきりになったこの患者は介護保険の適用が受けられない。四十歳以上六十五歳末満の「第二号被保険者」の場合、要介護状態の原因となる障害が、加齢による疾病によつて生じた場合に限られている。初期痴呆症や脳血管障害、慢性関節リウマチなど、老年期特有の病でなければ介護保険は使えないのである。
「大工をしていました。屋根から落ちて頭打って。九八年のことです」奥さんは、これまでの経過を正確に記憶していた。
  事故が起きたのはその年の十一月二十五日。入院は、転院が必要な期限が追った翌年四月まで続いた。
「とても家では看病できないと思ったよ。鼻から管が出てるし、吸引もできない。どこか次の病院探そうと思ってた。そのとき隣のベッドにおじいさんが入院してきた。もう、寝たきりの状態。それでも家でずっと面倒見てきたって開いて、私もできるかもしれない、この人うちに連れて帰りたいと思いました」痰の吸引方法の特訓を受けて、夫を自宅に連れ帰ったのは九九年の四月十四日で、ここから在宅介護がスタートした。介護保険の適用は受けられないが、役所に通ってホームヘルパーの派遣を許可してもらうことはできた。介護保険とは別に、障害者として福祉サービスの利用が一部認められたわけである。
「首が全然動かなかったのに、四月の末には動くようになった。私はうれしくなって、スキンシップしてあげたの」寝たきりの夫を自分のベッドに移動させて、添い寝をする。
「体に触れてあげると、喜んでくれた。五月二十日、彼が笑ったのを忘れない」奥さんは、背もたれのようにもなる電動ベッドを百万円出して購入した。九〇度の角度に起こして、歯を磨いてあげたかったからである。
  太田さんが彼女から相談を受けたのは、それからしばらくたった六月のことだった。「デイサービスも受けられない状況でした。なんとか入洛サービスを提供してあげたい。自分も往診して、訪問看護もつけたいと思いました」太田さんの頭には、九八年に太田さんが結城市にオープンさせた老人保健施設「生きいき倶楽部」があった。ここから入浴サービスを提供しようと即断し、訪問診療の患者にも登録し、完全なサポート態勢をとった。
「夜中でも電話したら来てくれるよ。安心。ずっと一人だったから、こんなにうれしいことはなかった」と、奥さんは一言う。
「先生、この人いい顔してるでしょ。Hビデオ見せてあげたら喜んだよ」「それだったら医者はいらないな。ビデオで十分だ。少しくらいはお酒も飲ませていいよ。太ったらダメだけど、濁り酒ならとろっとしててうまいかもね」「ありがと先生。ねえ、聞いてるの、ばか大工。赤ちゃんだったらとっくに走ってるよ。でも、この赤ちやん、二年間もただ笑ってるだけ」奥さんは笑いながら泣いていた。この家を後にし、車は栃木市に向かって走り始めた。この日、最後の訪問先である。
  介護保険が始まつて以来、在宅で介護サービスを利用しながら介護を続けている家族が第一にあげる不安点は、医療の問題である。
  埼玉県大宮市の病院に勤務しているケアマネジヤーから聞いた話だが、在宅介護のプランづくりを考える段階で、家族が必ず要望するのは万が一のときの対応策。「何か起こつた場合には、必ず、この病院の医師に診てもらえるのかと繰り返し尋ねられました。すぐに医師がお宅に駆けつけますよと答えてあげたいところですが、これだけの病院でも、在宅に深くかかわっている医師の数は不足しています」だとすれば、太田さんに、心の底からありがとうといえる患者さんが、本当に恵まれた環境にあることは間違いない。太田さんは、医療が在宅ケアに深くかかわる必要性をこう語つている。「寝たきり、寝たふり、寝かせきりを見分けることができるのは医師だけです。福祉だけで在宅介護が成り立たない理由は、この単純な事実からです。ただし、暮らしのなかにどっぷりと浸かる医師でなければ、その見分けもつかない。だから、ぼくは在宅医療に力を注いでいます」最後の家の患者さんは、二年前に脳硬塞で倒れて入院、病院から「生きいき倶楽部」に入所し、リハビリ後、昨年十二月に自宅に戻った。
  要介護度は五で、最も重い症状である。老人施設に入所していれば間違いなく寝たきりの状態にある患者さんだった。
「先生に言われ続けたのは、とにかく起こしなさいということでした。朝起きたら車椅子に乗せることでした。私があきらめて、寝かせきりにしていたら、どうなっていたことやら」
  奥さんはこの十一ヵ月をそう振り返るのだった。
「家と病院、温かみが違うよ」
  振りしぼるような声で、車椅子のおじいさんが話した。
「結局、奥さんが頑張ったんだよね。おれなんかより、ずっとおじいさんの体調管理がわかってるもの。たいしたもんだよ。これなら確実に自宅で死ねるよ」
  この家では、介護保険のサービスを最大限に利用している。要介護度五の場合、月額三十五万円程度の介護サービスが利用できる(自己負担は総額の一割)。介護サービスの利用を計画する段階で、プランづくりを担当するケアマネジヤーとホームヘルパー、看護婦、リハビリを担当する理学療法士、それに医師の太田さんが加わり、どんなプランがよいかを話し合うことができた。
  こうした話し合いに医師が入ることで医学的にも裏付けのある介護プランができるが、実際には、そこに医師の姿を見ることは難しい。「在宅で療養する患者とその家族を全面的にバックアップするためには、介護に携わっている専門家が意見を出し合って一人の患者さんのことを考えることが理想です。それをコミュニィーケアと呼ぶのですが、なかなかできないものなのです」
  太田さんがいうコミュニティーケアの実践には、推進役としての医師の存在が必要だ。医療の中心は医者であるという考え方はまつたく崩れていない。福祉と医療の融合が介護保険の目指す目的のひとつなのだ。だが現実には黒衣に徹する医師が出現するほど、医師の意識改革は進んでいないのが現状だ。
  一九九五年、在宅ケアを実践している医師たちが集まつて「在宅ケアを支える診療所全国ネットワーク」を設立した。現在、会員は四百人近くに膨らんでいる。全国に開業医は十万人弱。その中のたった四百人足らずでは、厚生省や社会全体を動かす声にもならない。
  太田さんもこの会の世話人を務めている。看護婦と医師が同日に訪問した場合、介護保険では訪問診療と訪問看護の両方の費用を請求することはできない。良心的なケアを実践すればするほど経費がかさむ。こうした問題点を訴えていきたいという希望はあっても、口にすれば愚痴になるだけというあきらめも強い。
「患者さんの暮らしに接近する、患者さんから直接声を開くことが情報のインプットであって、このインプットがなければ、自分が蓄積した知識と技術はアウトプットできないのです。出前医療だとうそぶいても、玄関から中に入れてもらえなければ何も始まらないんですよ」在宅医療の現場でも、コミュニケーションが必要なのだ。  
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