Home Care 3 2005 March
在宅医療 基本の“き” シリーズ対談5 後編

障害や病があっても望みどおりの
人生を実現するために

NPO法人日本アビリティーズ協会会長
アビリティーズ・ケアネット株式会社
代表取締役会長・社長
伊藤弘康

NPO法人在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク副会長
医療法人アスムス理事長
太田秀樹

望み通りの人生を送りたいー。だれにでもその気持はある。たとえ疾病があっても,障害があってもそのことに変わりはない。しかし,高齢者の在宅医療が充実しつつあるなか,障害者への支援の体制はいまだ不安定なままである。
前号では,そうした障害者福祉の現状や,介護保険制度および障害者福祉の課題について,伊東弘泰氏,太田秀樹氏の両氏にご討議いただいた。
さらに今号では“障害’をいかに捉えるべきか,また,障害者福祉はいかにあるべきか,そして医療者はどのような姿勢で取り組むべきかについて議論を深めていただいた。

障害があっても
当たり前に生活できる社会を
つくることが大切

太田 伊東さんは,障害者の社会参加のために長く活動を続けてきたわけですが,ご自身の目から見て,日本の障富者の置かれている立場は変わってきたと思われますか。
伊東 大きく変わってはいないと思います。今は高齢者介護の問題に社会的な視線が集まっていて,その一方で,高齢者というのは心身に障害を持った人たちでもあるということから,たまたま障害者の問題もクローズアツフされているという状態ではないかと思います。現に,いまだに車いすの人が気軽に旅行に行くことすらできませんからね。確かに介護者が同行するようなツアーもありますが,結局,特別なプロクラムが用意されない限り,一般の人と同じような生活体験を持つことができないという状況は変わっていない。それが日本の障害者が置かれている現状だということです。
太田 たいへん厳しい見方ですね。
伊東 障害者というのは自ら望んでそうなったわけではなく,不幸にも障害を負ってしまった人たちであるわけで
す。そして.障害の度合いが重度であれ軽度であれ,その人が置かれた環境において非常に大きなデメリットを持ちながら,社会のなかで生きていかなくてはならない。しかし,一度障害を持ってしまうと,社会のステージで,当たり前のことが当たり前にできなくなってしまうという現実がある。ここが非常に重要な問題なのです。
具体的に言えば,普通の教育を受けられなくなってしまったり,雇用のチャンスを得られなくなってしまったりする。もっと基本的なことを言えば,医療を受ける機会さえ失ってしまう。私の場合は,結局,そのぎりぎりのところにいたと言うことができるかもしれません。例えば,私自身も小学校のときに入学を拒否されそうになりましたし,都立高校でも入学拒否に遭いそうになった経験があります。大学を出て就職するときには,これはもう全く相手にしてもらえなかった。
自分たちが置かれているそういう社会の状況のなかで,多くの障害者は大なり小なり,「言いようのない無念さ」を感じて生きているんです。残念ながら,ここのところが今はあまり注目されていない。介護とか,介護上の生活支援の部分だけで捉えられているというのが,私は非常に大きな問題だと思います。
太田 その通りですね。
伊東 先にお話ししましたが,私が「アビリティーズ」を立ち上げて,障害者6人で会社を設立し,福祉用具の開発などを手がけたことには,そうした状況のなかで重度の障害のある人たちの自立への道を探りたいという気持が根本にあったわけです。
太田 「自分たちが世のなかを変えるんだ」ということですね。
伊東 そうです。障害を持っている人でもちゃんと職業能力があるんだということを社会に示して,社会全体を変えたかった。
つまり,私1人が職業能力を示せたとしても,障害を持っている人のなかには,それがかなわなかった人もたくさんいますから,私だけの職業能力を示すだけでは足りないと思いました。
一方,成功した場合,例えば,私の友人で税理士や弁護士になった人もいますが,そうすると,どうしても「障害を克服して弁護士になった」というような美談にされてしまう。ですが,そういう受け止め方はおかしいわけです。
太田 確かにそういう面はありますね。
伊東 私自身は,基本的には「障害は克服する必要はない」という考え方です。障害を克服しなくてはいけないとしたら,障害を克服しなければ普通ではないということでしょう。障害があっても,職業能力はあるわけですから,もともと普通の人なんですね。特別でなくていい,普通でいいんです−普通の人として当たり前に生活できるような社会をつくることが最も大切なことです。それを支援するのが制度であり,福祉サービスであり,あるいは在宅ケアだと思うんですね。
私は,どちらかと言えば,当たり前に生活できる,程度の軽い障害者だと思っていますけれど,世のなかにはもつと重い障害を持った人,いつも死と向かい合いながら生きなければいけないような人がたくさんいるわけです。ですが,そういう人たちにとっても1回きりの人生であることには変わりがない。彼らが自分の人生を,もっと当たり前に生きることができるようなレベルまで持っていくこと,そのためのサポートができるような社会をつくっていかなければならないということを強く感じています。
太田 おっしゃる通りですね。
伊東 ですが,普通に生活をしていると,障害を持った人が何を考えて,どんな生活をしているのかということを知る機会がなかなかありません。先生の場合は車いすの方たちと一緒に旅行をしたことで,病院ではないところで,ハンデイキヤツフを持った人たちの本音が聞けたというのが非常に責重な体験だったのではないかと思います。
今の社会では医者と障害者という関係であっても,そういうことがなかなかないんですよ。なぜかと言うと,学校教育の段階でふるいにかけられてしまうからです。ちょっと障害がある子供は養護学校へ,障害のない人は普通の学校というふうに分けられてしまう。つまり,そういう日本の戦後の福祉の歴史そのもの,制度そのものに問題があったということです。
そういうなかで介譲保険制度ができて.問題はあるにしても高齢者のサポート体制が構築されて,いろいろなサービスができてきたというのは非常に喜ばしいことだと思います。しかし,まだまだ中身については決して十分ではないし,何よりそこに哲学がない。ですから,そういった足りない部分を補いながら,国民が一体となって,よりよい制度としてつくりあげていかなくてはならないと思います。
太田 そうですね。

法律により障害者福祉への
社会的コンセンサスを得るべき

伊東 それから,障害者が働きにくい環境がつくられているということも問題です。テナントが多く入っている某ビルの副社長と親しくさせていただいていますが,彼に「障害者雇用を阻んでいる原因の1つは,お宅のビルにある」と話したことがあるんですよ。都内には大企業の本社がたくさんあって,かなりの企業がそのビルに入っている。ところが,車いすの人には使えないトイレが設置されていたり,段差があったり,駐車場も車いすの人が使えないものだったりするわけです。そういうビルをどんどんつくってしまった結果,そこに入っている会社が「うちの会社は車いすの人のトイレがないから」といったことを理由に障害者の

一度障害を持ってしまうと,社会のステージで,
当たり前のことが当たり前にできなくなってしまうという現実がある。
ここが非常に重要な問題なのです。    (伊東氏談)

雇用に消極的になっているという面もある。そういう意味で,「ビルに原因がある」と言ったんですけれどね。
太田 なるほど。そういう考え方もあるわけですね。
伊東 つまり,障害は社会のなかで人為的につくられているということなんです。やはり,それを改善するためには,やむをえず法律が必要でしょう。障害を持っている人が,「当たり前のことを当たり前にできる」社会環境を整備する必要があるし,そのための法律をつくらなくてはいけません。障害者福祉に対する社会の理念と合意を国会において確立するということです。
一応,障害者基本法が改正されましたが,これには罰則規定がありません。ただ,「障害のある人に差別してはいけない」という文言が初めて入ったというだけです。だから,もし差別したとしても何かペナルティーがあるわけではない。米国では,明らかな差別を受ければ訴訟に持ち込むことができます。今,日本がやらなければならないのは,そういう法律をつくって社会的なコンセンサスを確立することだと思います。
太田 伊東さんが言われるように,社会的なコンセンサスを確立するためには,法律に頼るということも必要でしょうね。ですが,それだけではなく,もっと身近なことで私たちにできることもありますね。
例えば,障害のある人を友人に持つということもできる。そういう友人がいれば.当事者の気持を聞くことができますし,彼らが何に困っているのか,何を望んでいるのかということが理解できる。障害を持つ人が人口の5%いるとして,単純に100枚年賀状をもらうとしたら,そのうち5枚は障害のある方からもらいたい。それぐらい友人がいれば,障害のある方の気持がとてもよくわかると思うんです。私は在宅医療の仕事をしていることもあって,身体障害者の方々から,一般の人よりもたくさん年賀状をもらっていると思
います。
障害のある方との交流を持つように意識する−そんなささやかな運動が世のなかを変えるのではないでしょうか。医療者,福祉に携わる人たちにこそ,そういう意識を持って欲しいと思いますね。例えば,それが1つの運動体として発展していけば,社会を変えることだってできるわけです。

医療者は障害者のことを
もっとよく知ることが必要

太田 そろそろ,未来に向けての話に移りたいと思います。私たち医療者に対して,障害のある方からの意向と言いますか,批判や要望を伺いたいのですが。私たちが新しい視点を持つことで変わる可能性があれば.そのヒントをお話しいただかなくてはいけませんから。
伊東 実は医療の点で言えば,ほんの10年くらい前までは非常に深刻な状況だったんです。例えば,私どもの会社には車いすの人が何人も働いていて,当然,毎年,定期健康診断というのをやるわけです。ところがX線写真を撮るのに「車いすの人は使えない装置しかない」というような理由で、病院から断られるのが当たり前という時代がずっと続いていたんです。弊社は東京にあるんですが,わざわざ千葉の病院まで出かけて行って健康診断を受けざるをえないということがあったんですね。
それがこの5,6年の間に,ほとんどの病院で診断を受けることができるようになってきた。そういう意味では,確かにこの数年で医療機関の対応がだいぶ変わってきましたね。ただ,歯科医ではいまだに車いすの人は診療できないというところが多いですけれど。
太田 医療者が,障害や障害のある人のことについてよく理解していないということもあるかもしれませんね。
伊東 そうなんです。そういうことを知らない医療者は,まだまだ結構いますよ。長い間,診てもらっていたとしても,それはあくまで医者と患者という関係があって,診察室だけでの付き合いなんですね。その人が日ごろどのような生活をしていて,何を望んでいて,どうしたいのかといったことについては全然知らなかったりしますから。
しかし,先生はご存じだと思いますが,障害を持っている人の身体事情というのは非常に複雑なんです。私にしても,日によってひどい腰痛が現れたりすることがあります。調子がよくて全く痛みがないときもあれば.ひどい痛みで動けないようなときもある。その時々によって健康状態が大きく違うわけです。幸い,太田先生をはじめ,よい先生たちとお付き合いさせていただいているので,私自身,今はあまり苦労がないんですけれどね。全体的に見て,やはり障害そのものが理解されていないということは強く感じます。そういう悩みを持った人は非常に多くて,皆さん自分のことを本当に理解してくれるお医者さんを探すのに苦労されているようです。
太田 医師というのは疾患を治すほうには非常に力を入れるんだけど,それが治らないものだとわかったとき,ある種の遠慮が出てしまうということもあるんですよ。「治せないものに対して自分たちは非常に無力だ」というような見方をしてしまう人もいますしね。逆に言えば,「治せないとわかっているから,かかわるのを避ける」という傾向があるのかもしれない。そういうこともあって,在宅医療を行う以前に,障害を持った方に対して理解のある医師が少ない。今のお話にあった,車いすで病院に来られる方の問題にしてもそうです。
だから,なおさら「病院に来られないなら,私が行きますよ」という当たり前の感覚を持った医師というのはもっと少ないんです。現実に障害があるせいで,病院に検査を受けに行くこと1つが非常にたいへんな方がいる。だからこそ,私たちのほうが動かなくてはならないと思うし,そうした医療がもう少し行いやすい制度が欲しいというのも正直なところです。高齢者に関しては在宅医療を支援するような制度が整ってきましたけれど,例えば,障害者に関しては,24時間対応に対する制度的なインセンティフというものはありませんからね。
伊東 そのあたりは,私としてもぜひお願いしたいですね。
太田 とにかく,医師,看護師はもちろん,PTやホームヘルパーなど.医療・ケア関係者が陣害者のことをもっとよく知ることが必要ですね。それは身体的な状況だけではなく,心の問題も含めてということですが。

100枚年賀状をもらうとしたら,そのうち5枚は障害のある方からもらいたい。
それぐらい友人がいれば,
障害のある方の気持がとてもよくわかると思うんです。   (太田氏談)

維持管理の視点での医療サポートと
包括的な医療サービスが必要

伊東 私は障害者の慢性期の医療には,大きく2つの面があると考えています。1つは維持管理です。加齢に伴い,維持管理という視点から医療的なサポートが必要な人がかなり増えてきています。もう1つは包括性のある医療の提供です。今,病院は専門化が進んでたくさんの診療科に分かれています。ところが,障害のある人は1つの疾患だけでなく,いろいろなところに問題が出てくるわけです。特に年を取つてくると歯や目が悪くなってきたり,呼吸器の問題が起こったりといった具合にね。そうしますと,複数の診療科で個別に診てもらうのではなく,ある程度.総合的な状況がわかる医師に診てもらいたいわけです。専門的な視点だけではなく,維持的なメンテナンスの視点と包括的な医療サービスが非常に必要とされている。障害者に対する包括的な医療サービスのシステムが必要だと思います。
太田 包括的な医療サービスが必要であるという点では,高齢者医療と同じですね。今のお話をかみくだいていうと,障害者だってかぜをひくし,癌に

障害を持っている人も,持っていない人も,
考えていることは同じなんです。
人生について同じように希望を持ち,何かにチャレンジしたいと思っている。
(伊東氏談)
なる。それで,かぜをひいてたまたま内科にかかると,障害を理解していない医師は,疾病でうがいなど不可能な人に向かって「うがいをしなさい」という指導を当たり前のようにしてしまうということですね。
伊東 そうそう。その通りなんですよ。
太田 そういうことなんですね。だから,本来,医療者のミニマムな知識の部分で障害を捉えて理解するということが求められているんですが,障害を理解するチャンスがないんですね。整形外科医の私ですら,障害者の方がどんな暮らしをしているか,その暮らしの場に足を踏み入れて初めて学んだわけです。病院では見えなかったことを。
伊東 専門医の視点だけでなく,もう少し広い範囲で診療していただける医師が増えるとよいのですけれどね。
「この先生に相談したら状態を全体的に判断してくれる」という,GPを配置するような制度がないと,さまざまな問題が出てきますね。
太田 そのあたりは高齢者の問題と共通していますね。今は老人科や高齢者専門外来がある病院も少なくないし,「女性外来」だってある時代ですから。
もちろん,本来,障害というものは,「女性」とか「高齢」のように1つのカテゴリーとしてくくるべき身体的な特性ではありませんから,障害がある人もない人と同じように1人の医師が全体的な状況を把握すべきなのですが,それができない現状では,障害について理解の深い医師が障害者を専門に診療する「障害者科」のようなものがあってもよいでしょう。そうすれば.障害を持つ方が医療を受けるときの負担が軽減され,適切な医療が受けやすくなる。社会全体が障害者を正しく理解するような環境が整わないうちは,障害者医療というのは,専門特化していくだけの特殊性は十分あると思います。
ただし,今の仕組みではそれができないんです。医学部には講座ごとに教授がいますので,「障害者医療学教授」がいない現状では.専門に教える先生がいないんですね。やはり,教育から変えないとだめだということです。医療の世界の意識を変えることも,日本全体の意識を変えることも,教育が必要であるということでは全く同じということですね。
伊東 それは言えるでしょうね。
太田 高齢者の在宅医療については,制度的にも充実してきつつありますが,これからは障害者の在宅医療の問題が非常に大きくなりますね。特に,昔なら助からなかった子供が助かるようになりましたから,重度の障害のまま人工呼吸器や胃痩を付けて退院し,家で生活しているお子さんがいるわけです。以前はそういう子供たちに家で暮らすというチョイスはなかったけれど,今はそれができるようになりましたから。それはつまり,環境によって障害がつくられたり,環境によって障害が軽くなったりするということにもなります。
障害者の在宅医療をどうするかというのは大きな問題ですし,高齢者の問題がある程度成熱すれば,障害者の問題について皆が目を向けるようになると私は思っています。

だれもが当たり前に生きていける
生活の質までを考えた支援が必要

太田 最後に,障害者が求めていることという大きな話になりますが,まとめとして伺いたいと思います。いかがでしょうか。
伊東 そうですね。結局.障害を持っている人も,持っていない人も,考えていることは同じなんです。人生について同じように希望を持ち,何かにチャレンジしたいと思っている。だけれども,障害を持っているためにできないことが連続してくると,チャレンジしようという意欲や希望がだんだん薄れていってしまう。それが今の日本の社会なんです。若くして障害を持った人は,年とともにだんだん薄れていってしまうわけですけれど,高齢になってから突然障害を持ってしまったりすると,これはもう強烈な勢いで挫折してしまう。だから,精神的な負担は後者のほうがより大きいということになります。
太田 そうかもしれませんね。
伊東 それでも結局のところは,どんな障害を持った人であっても,やはり自分の人生においてやりたいことや希望というものを持っていることに変わりはない。それは本人が一番持っているわけです。家族や周囲の人にとっては「こうあって欲しい」という単なる「願い」にしかすぎないかもしれないけれど,本人にとってはそれが最も切実で重大な課題なんです。だから若者であれ,高齢者であれ,障害者であれ,だれもが当たり前に生きていけるような社会であることが重要なのであって.それを支えるための医療であり,福祉であるべきだと思います。そうすると,単に介護だけで解決できるような問題ではなくなってくるんですね。そこにはもっと,生活の質といったことまで総合的に考えた支援が必要になってくる。そして.そのための社会の仕組みをつくるのが国の役割なんです。
太田 医療と福祉は求めるものが違うのではなく,同じなんです。だけど,それが違うように教育されてしまっていることが問題なんですね。やはり,重要なのはだれにもチャンスが平等であることであって.決して何かを施してもらうことを望んでいるわけではない。立場は違いますけれど,伊東さんの考えと私の考えはそんなに違わないと思っているんですよ。だから,伊東さんがおっしやることは,いつも共感を持って聞くことができます。
伊東 ありがとうございます。
太田 ところで,昔から「衣食住足りて礼節を知る」と言いますよね。私は今の時代は,「衣食住」ではなくて,

現状では,障害について理解の深い医師が障害者を専門に診療する
「障害者科」のようなものがあってもよいでしょう。(中略)
社会全体が障害者を正しく理解するような環境が整わないうちは,
障害者医療というのは,専門特化していくだけの特殊性は十分あると思います。
(太田氏談)

医療の「医」と手に職の「職」と.充実の「充」で,「医職充」でよいと思つているんです。昔は「着るものがあって,食べるものがあって,住むところがあればよい」ということだったわけでしょう。ですが,今の時代はそうではない。一般社会でそれらが足りているのは当たり前です。福祉国家というものは,きちんとした社会保障があって,仕事に就けて,充足した生活を送ることができ,そして,最期に「自分の人生は豊かで実りのあるものだったな」と,そう思える社会であることが大事なのではないでしょうか。障害者の福祉も当然そのレベルであるべきですね。
本日は,ありがとうございました。
伊東 こちらこそ,ありがとうございました。
(了)

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