幸せな介護はどこにある?
婦人公論
井戸端会議
特別版

ゲスト=太田秀樹・加藤タキ・羽成幸子
司会=田丸美鈴

100歳の母、10歳の息子、
そして自分の仕事

田丸 介護や、老い、痴呆と言いますと、どこか暗いイメージがありますが、人間は、どんな王様でも歳をとれば、等しく老いと向かい合わなければなりません。来るものは拒まずで、介護するほうもされるほうも、それをむしろ前向きに考えていけたら、こんなに素晴らしい人生はないのではないでしょうか。
今日のテーマは「幸せな介養はどこにある?」です。65歳以上の高齢者が人口の7%を占めると、高齢化社会と言うそうですが、いまの日本は18・9%。団塊の世代が高齢者になる2015年には、25・3%になるんですね。よさに超高齢化社会です。今日はその問題を考えるにふさわしいお三方をお迎えしています。
まず加藤タキさんです。ご存じのように、お母様は加藤シゾエさん、日本の女性国会議員第1号として、28年間、議員を務められた方。そのお母様を介護なさった経験をお持ちです。
加藤 私は3年前、母が104歳で人生をまっとうするまで、世話をいたしました。ただ、自分で直接、介護をしてはおりません。3名の主婦の方を中心に、介護を仕事とする方、あるいはボランティアでもいいわよと言ってくださる方など、多くの方に支えられての介護でした。
人に委ねたのは、自分には何ができるのだろうかと、真剣に考えた結果です。48歳で私を産んだ母を見習ったわけではないんですが、私は42歳で出産しました。当時10歳の息子がいて、傍らには100歳の母がいる。仕事もあります。育児、介護、仕事、家事など全部を自分ひとりでやろうと思ったら、倒れるのは目にみえている。実は母が95歳で大腿骨を骨折した時
に、ひとりで世話をしようとしたことがあったんですが、1週間でフラフラになった経験がありました。もしいま私が倒れたら、すべてがだめになってしまう。そう思いました。
私はどうやって母と向かい合っていけばいいんだろう。母はどういう気持ちで私と向かい合ってもらいたいのだろうと、真剣に考えて過ごした4年間でした。

どうやって自分の時間を
奪いとるか

田丸 2人目のゲスト羽成幸子さんは、在宅で、ご自身が中心になって介護された経験をお持ちです。しかも羽成さんは19歳の時から49歳まで、30年間にわたって、おじい様、おばあ様、お父様、お母様、そしてお姑さんと、5人もみとっていらっしやる。まさに「介護の達人」なわけです。
羽成 父は非常に病弱な人で、私が物心ついた時から入退院を繰り返していました。家の中では誰かが布団で寝ていた、という環境で生活してきましたから、介護は自分の生活の一部であり、人生の一部という感じで生きてきたんです。
田丸 19歳の時はどなたを介護なさったんですか。
羽成 祖父です。祖父が痴呆になって、徘徊が始ほって、その後寝たきりになりました。それから半身不随から寝たきりになった祖母をみまして、その間、私が20歳の時に父親が一時危篤状態になったんです。1級の身体障害者というハンディを受けることにはなったんですが、その後、20年生きました。その父は65歳で亡くなり、やれやれというところに今度、夫の母であるキクさんという姑との同居と介護が同時に始まったんです。
私は長男の嫁なんですけれども、当時は育児の真っ最中で、一番下が9歳で、そのうえに11歳、13歳、15歳、とちょうどややこしい時期の子供が4人いた。介護が自分の人生の一部だとしたうえで、どうすれば私は私らしく生きていけるのか。そこで、「私の人生の主人公は私よ」と思うことにしました。
田丸 実際介護を始めると、本当に時間もエネルギーもとられる、24時間、頭から離れない、と言いますよね。
羽成 そうです。でも、その中で5分でも10分でも、私の時間を奪いとろう、と。じゃあ、そのためにはどうすればいいのか。ひとつは、介護される人に、できることはやってもらうことです。寝たきりになった姑は自力でティッシュペーパーにたんを吐いていました。ところが、枕元のその箱がベッドからよく落ちる。そこで、箱にひもをつけて自分で拾ってもらいました。
また、昼寝をする姑でしたので、その間、学校から帰った子供に「息をしているかしていないか、確認するだけでいいから」と頼み、タクシーに飛び乗って映画をみにいきました。1本なんかみられません。まず前半だけみて帰って、次の機会に後半をみる。つなげれば1本になる。やった−!と。それが私の人生を
奪い取っていくやり方でした。
田丸 それでも、嫌なことはあったでしょう?
羽成 いろいろな方程式もつくりました。姑がうんちを漏らした次の週は歌舞伎座に行くとか。お風呂場で姑のお尻を洗いながら、頭の中では三味線の音が聞こえるんです。介護によって自分の人生をとられるのではなくて、その中から何ができるかを考えていく。介護から何を学んだかというと、時間の価値、自由の価値のすごさですね。
田丸 太田先生、お待たせしました。先生はもともと大学病院の医師だったんですが、いち早く在宅介護を視野に入れられて、訪問看護に取り組み始めたんですね。きっかけは何だったのでしょうか。
太田 1991年に、身体障害者のグループと海外旅行に行く機会に恵まれたことですね。そこで患者の本音を開くことができまして、本当に医療の必要な人のところに医療は届いていないと気づいて、愕然としました。そろそろ白い巨塔にも嫌気がさしていましたので、これを機会にやめようと、92年の4月に在宅医療の診療所を開いたのです。
これまでに600名ぐらいの方の在宅ケアのお手伝いをしています。途中で病院に入院した方もいますし、最期までお世話した方もいます。200名ぐらいの方は私がみとりました。いまも、志を同じくする医師数人と一緒に、150名ぐらいの方の在宅療養の支援をしています。
この仕事はおもしろいです。痴呆の方も結構おられます。往診に行って、おじいちゃんに「この、にせ医者、帰れ」と言われたりもします。はっとしたんですけれど、にせ医者でないと説得する証拠はないんです。医師免許なんか携帯していませんし。やぶ医者と言われれば、「やぶですみませんね」とは言えるけれど、「にせですみません」とは言えないですよね(笑)。肩ひじ張らずに、幸せな介護に一役買いたいなと思っています。

介護保険は
誰のためのものか

田丸 介護保険が施行きれで4年ですが、うまく運用されているでしょうか。
太田 本当に家族や本人は幸せになったのだろうかと、ちょっと首をかしげたくなるところもあります。
まず、要介護認定を受けてもサービスを利用していない方が結構いらっしゃる。介護費の給付からみると、使われているのは支給限度額の40%ぐらいという状況ですね。現実として、本当に必要な人のところに届いていない一方、余分と言えるサービスが使われている場合もみられます。
介護保険のそもそもの理念は、「介護の社会化」だったわけです。しかしこれは詭弁で、介護の社会化とは、介護の企業化と言える。結局、家族の介護放棄を合法化してしまっているんです。ですから、施設内でうちに帰りたいと徘徊し続けるお年寄りがいっばいいる中で、家族は介護から解放されて、介護保険はいい保険だと考えている。新聞は、7割から
8割のは介護保険に満足という表現で報道していますが、本当に本人のためになっているのか、ちょっと疑問です。
それから、社会参加への支援は、介護保険にはないんです。例えば選挙に行きたいと言っても、ヘルパーさんが投票場まで連れていってくれるサービスはない。ボランティアのサービスであれば、そういったこともありますが。非常に限られた環境での生活を、介護保険は想定しているということです。
田丸 これは会場からの質問なんですが、「施設入所は不幸なのでしょうか。在宅介護のほうがいいのでしょうか」との悩みが寄せられています。70代半ばの義理のお母様をみていらっしゃるそうですが、育児のストレスもあって、子供に当たったりしてしまうのだそうです。
羽成 多くの方が悩まれますが、在宅介護がすべてではないです。痴呆になって、ところかまわずお漏らしする「どこでもトイレ」状態になってしまったら、やはり、施設に入れることを考えたほうがいい。うんちを垂れ流しているおじいちゃん、おばあちやんを、何年後かの自分だと思ったらどうでしょう。施設のお世話になりたいと思うのではないですか。これから生きるご家族のことを大事になさつたほうがいいと思います。
太田 僕も、在宅医瞭でなければだめだとは考えていません。家で療養されていた時より、施設にいる時のほうが、はるかにいきいきとしている方を何人もみていますから。
加藤 私の母は4年間に3つの病院と、介護老人保健施設でお世話になりました。ついのすみかとなった施設では、ベッドの周りに家族の写真を置いたりし、自宅の寝室と同じような雰囲気をつくったのですが、母は最後までことあるごとに、「うちに帰りたい、帰りたい」と申していました。母はそこで十分幸せだったと願いたいんですが、私はそれをかなえてやらなかったのが大きな悔いなんですね。1日でもいいから帰してやればよかったのかな、と。
でも、あの時の私はできなかった。だからどんな形をとったとしても、悔いのない介護はないんじゃないか、でも、精いっぱいの介護をしたということは、事実として残るんじゃないかと、そう思います。       ′
田丸 羽成さんは在宅介護で、親戚や近所の方の力も借りていらっしゃいましたよね。
羽成 そうです。介護の土俵にたくさんの人を上げましょう、と。
田丸 どんなふうにしたんですか。
羽成 姑が寝たきりになった時に、夫のきょうだい全員に手紙を出しまして、「このたび、あなたのお母さんが寝たきりになりました。つきましては、1日300円のおしめ代を振り込んでください」と。姑に「こういうことをやるけど、どう?」と相談しましたら、いいという返事をもらいましたので、「みんなこっちを向いて」というメッセージを出したわけです。
田丸 ちゃんと振り込まれてきました?
羽成 ええ、手紙に書いた額より多くくれました。夫のきょうだいも少し気持ちが楽になるし、姑自身も楽になったのではないでしょうか。何で私だけが、と思う前に、メッセージを投げかけてみるといいんじゃないかと思います。

介護される人も
誰かの役に立ちたい

田丸 ボランティア募集の看板を出したこともあったんですよね。
羽成 自宅の前に「当方、ただいま寝たきり老人介護中」という看板を出しまし
て、「これから介護する人、される人、一緒に情報交換をしましょうよ」と。来てくださった方はみんな生徒で、姑が先生。「よろしくお願いします」と声をかけて頂くうちに、だんだん貫禄が出てきて、「今日は生徒さんは何人来るの」なんて(笑)。寝たきりだから役に立たないわけではなくて、生きている人は、みんなそれぞれ役目があるのだと思います。
田丸 お姑さんもすごいですよね。知らない人に、いきなりおしめを替えてもらうというのは。
羽成 それまでは、私と姑の2人だけの人間関係だったんですが、そこに第三者が来てくれて、姑自身がいきいきしてきましたね。
加藤 母もそうでした。最期の最期まで、「私はまだ役に立っているのかしら」と言うんですよ。やっぱり生きているという実感、誰かを潤わせているという実感が欲しいんだと思います。介護される側も役に立ちたがっていると理解することが、すごく重要。
一田丸 役に立っていることがわかれば、生きる意欲もわいてきますからね。タキさんのお母様には私、一度お会いしたことがあるんですが、100歳になられても、素敵なスカーフやブローチを身につけていらして、とてもおしゃれでした。
加藤 それは母に言わせると、「おしゃれではなくて、身だしなみでございます。明治の人は誰でもみんな同じでございます」ということになります(笑)。身だしなみを整えることで、気持ちがしゃんとするんですね。ですから、生きる意欲が持続するんです。
私はもうひとつ、生きる意欲を持続させるものがあると思っていまして、それは自分自身の舌で味わうこと。母は102歳で舌がんになり、舌を3分の1切ってしまったんですが、食べることへの執着心は消えなかった。
母から生きる意欲がうせたのは、胃に直接孔をあけて栄養剤を入れる、胃痩の処置をしてからでした。母は生きている間、いつも「私に延命処置は一切しなさんな」と言い切っていた人なんですけれども、娘としては1日でも長く生きていてほしい。家族でミ−ティングしたうえで、私がお医者様にお願いしたのですが、母は口からものを食べるということができなくなった途端に、生きる意欲を完全に失いました。「私のごはん」「私のごはん」と言い続けるんです。「さっき、胃に栄養剤を入れたから大丈夫よ」と言っても、「私はまだ今日のごはんを食べていません」と言い張る。その時は本当に悲しくて‥‥。でも、これが現実だと思いました。
田丸 いまのお話に関して、専門のお立場から何かありますか。
太田 ご家族の気持ちはとてもよくわかります。しかし、この胃瘻の処置に代表されるような延命治療が、日本に寝たきり老人をつくり出しているんです。
田丸 日本は寝たきりのお年寄りが圧倒的に多い国だと言いますよね。
太田 言い換えれば、寝たきり老人に医療のある国が日本なんですね。死ぬにも死ねない。海外では寝たきり老人に対する積極的な医療はあまりない。気管切開といって、のどにチューブを入れる処置があるんですが、それによって呼吸がしやすくなる。気管切開と胃痩をすれば、死ねないです。
田丸 いわゆる先進国では、そうした医療は行いませんか?
太田 西洋的な考え方に立つと、やっぱり人間としての社会生活ができなくなり、口から食べられなくなった時を寿命と捉えるのが支配的です。
もうひとつ、日本の病室に椅子がないことも、寝たきりを増やす原因のひとつです。つまり入院しますと、ベッドの上以外に暮らす場がない。
田丸 寝るしかなくなっちゃう。
太田 そう、「廃用症候群」と言って、足腰を使わなくなって寝たきりになる例が非常に多い。外国の病院の病室には、必ず椅子やソファが置いてあります。
さらに、日本では車椅子の質が悪い。日本の車椅子は第二次世界大戦が終わったころのタイプなんですが、一度座ってみるとわかります。僕らみたいな元気な者が座っていても、30分も座れば腰が痛くなる。お年寄りだとなおさらです。外国では寝たきりが少ない理由のひとつに、寝かせきりにしないで、必ず車椅子に座らせることがあげられます。特にアメリカや北欧の車椅子は座り心地がいいです。
加藤 母がずっと使っていたのは、デンマーク製の車椅子です。病室や介護老人保健施設でも、朝起きると必ず車椅子に移しました。そうすると、しゃんとしますので、鏡をみて、ちゃんと髪をとかして、それもなるべく自分でとかさせる。お化粧はしませんでしたけれども、朝晩蒸しタオルで顔を拭き化粧水をつけるのです。やっぱり生きる意欲がちがってくると思います。

後悔のない、
介護はないけれど

田丸 さて、今日のテーマ「幸せな介護はどこにある?」ですが、羽成さんはどうお考えですか。
羽成 幸せな介護はどこにもない、あるとしたら、自分の中だと思います。家族介護の中では、憎しみも愛、怒りも愛、そして悲しみも愛です。なぜなら、そう思うほどその人と向き合っているから。毎日の葛藤を恐れないでほしいですね。
どんな状況になっても、どんな人に介護されても、私たちはしたたかに向き合っていく覚悟が必要。その煩わしさに慣れていかなかったら、どんなにいい老人ホームに入っても、幸せにはなれないのではないでしょうか。老人ホームの施設が面倒をみてくれるわけじゃなくて、みてくれるのはそこにいるスタッフの方々ですからね。そこにはおのずと相性があります。
田丸 加蕗さんはお母様のお世話をなさる方とのおつき合いもあったと思うんですが、お母様との相性はありましたか。
加藤 ありました。全員、人づてでお願いしたんですが、選ぶ際に私がまず信頼できないと困るわけです。私には母のことは95%わかっているという自負がありますから、私と相性がよければ、ほとんど大丈夫だろうと思っていました。
でも中には、私が100%信頼していた人
でも、母との相性が悪い方がいらっしゃった。自分がいいと思っているから、それに私は気づこうとしないんです。そういうことを言うのはわがままじゃないかとか、ずいぶん母のほうを戒めました。
母の気持ちをくみとれなかったことは申し訳なかったなと思っています。
繰り返しになりますが、後悔のない介護はないと思います。どこか、必ずちょこ、ちょこっと後悔する。でもなるべく後悔のないようにするためには、自分が納得するんじやなくて、相手の立場に立って考えた時に、どう接してもらうのがいいのか考えることだと思います。
羽成 私たちの世代になると、高齢社会の真っ只中に老いを迎えますから、人を選べないぐらい介護をしてくださる方が圧倒的に少なくなるんですね。そうすると、その前に自分で自分の介護を始めなかったら、間に合わないんです。
田丸 自分で介護を始めるつてどういうことですか。
羽成 いま、おしめツアーを企画しているんです。寝たきりになってからおしめをするのではなく、元気なうちにおしめをして、旅行に行ったり芝居をみにいったりして、安心するためのひとつの道具として使いましまうよということです。そうすると、寝たきりになる前におしめを使って、ぽっくり死ねるんじゃないか。
自分の老いとなるべく早く、潔く向き合ったほうが勝ちなんじゃないかな。介護にも老いにも、教科書はありません。つまり、幸せな介護というのは、早い段階から私はこうやって老いたいというイメージを持って、自分の体と向き合っていれば、得られるんじゃないかと思うんです。

医療を過信せず、
水分と栄養を十分とる

田丸 太田先生はどうお考えですか。
太田 不幸な介護はあると思うんです。正しい情報や知識のない介護は、不幸ですね。例えば塩は体に悪い、薄味はいいと思っている方がほとんどだと思います。しかし、食事の量が3分の1ぐらいになってしまったお年寄りに減塩食を食べさせますと、塩が足りなくなります。ですから、味は濃いほうがいい場合だって、いくらでもある。また牛乳が体にいいと信じている人は牛乳ばかり飲ませていますけれども、年乳には脂肪分がいっばい入っていますから、ドロドロの血液になっていきます。
田丸 私も、まったくそう思っていました。他に何かありますか。
太田 医療に対して過剰な期待を持った介護も困ります。肺炎にならない薬をくださいなんて言われても、それはない。多くの皆さんは、薬を飲み過ぎていますね。ある調査では、複数の科から処方された薬を約13種も飲んでいるそうです。
田丸 母も10種類ぐらいは飲んでいます。
太田 お元気なうちはまだしも、体の具合が悪くなってから、しかも長期間にわたってそれだけの量を飲むというのは、副作用が非常に心配です。便が出にくくなる薬と便を出やすくする薬を同時に飲んでいるとか、女性が前立腺肥大の薬を飲んでいるとか、いろいろあります。
薬には、絶対に飲まなきゃいけない薬と、飲まなくてもいい薬と、飲まないほうがいい薬があります。そういったことをちゃんと相談できるような、親しい開業医が近くにいるといいですね。田丸 お水は、やはりたくさん飲んだほうがいいでしまうか。
太田 不足している人が多いです。お年寄りは、生理的にあまりのどが渇かない。具合が悪くなつた時は、だいたい脱水が引き金になっています。
田丸 どういう水分がいいんですか。
太田 水道水でもミネラルウォーターでもいいです。ただ、カフェインには利尿作用がありますから、おしっこも出てしまう。だから玉露よりは番茶のほうがいいかもしれないですね。
それから栄養も問題です。お年寄りはあまりちゃんとしたものを召し上がつていない。お料理するのが面倒だということもあるのでしょうが、偏っていて、粗末な食事をしている。結局、栄養状態が悪い脱水状態の人が薬をたくさん飲んでいれば、体を悪くするということなんです。具合が悪くなった時に、歳のせいだとは考えないほうがいい。薬、水分、栄養の3つは重要なので覚えておいてほしいと思います。

最後には「ありがとう」と
言って死にたい    

田丸 ちなみに先生ご自身は、どんな介護を受けて最期を迎えたいですか。
太田 先のことはわからないというのが、本当のところですね。
田丸 奥様とご家族はみてくれそうですか?
太田 おそらく仇をとられる身のではないかと思います。(笑)
田丸 羽成さんはどうですか? ご主人はみてくださいますか?
羽成 いえ、夫には介護ができないと、つくづくわかった出来事がありました。先日、私は下痢をしまして、トイレで意識を失ったんです。トイレのドアが壊れておりますもので、そのまま前に、お尻を出したまま倒れまして。
由丸 ええ−っ!
羽成 ブツは落としでから倒れたので、汚さなかったんですけれども、それをみた娘が大変だと夫を呼んだんです。ところが夫の第一声が、「あんた、寒そうだね」。(笑)
田丸 お尻丸出しで、寒そうだから?
羽成 夫には、ヘルパーさんを頼む窓口の役だけやってはしいと、はっきり言いました。
田丸 加藤さんはどうですか?
加藤 やっぱり想像力の豊かな人に介護してもらいたいですね。こういうことを言うと相手がどう思うだろうかと想像できる人。それから、人間が好きな人がいいです。
田丸 最後は息子さんやご主人、愛した人たちに手を握られながら、「ではごきげんよう」と言って、格好よく毅然と、というところでしょうか。
加藤 はい。私の母は亡くなる1カ月ほど前に、「ありがとう。こんなに私は歳をとったのに、みんなに親切にしてもらった。私は幸せです」と言ったんです。だから私が、「いいえ、お母様だからこそ、みんなで何かやってあげたくなっちゃったのよ。こちらこそありがとう」と手を握って申しましたら、にこっとしまして、それが最後の会話になりました。
日丸 羽成さんはどうでした?
羽成 姑が、「私はがんばって生きてきたから、あんたに会えたんだな」と言ってくれました。私も最後は「あなたに会えてよかった」と死んでいきたいんですが、そのためにはそういう人間関係を積み重ねていかなきやならないですよね。
介護している人は、やっぱり介護される人から、「ありがとう」を言ってほしい。ところが姑からなかなかその言葉が出ないので、ベッドの横に「ありがとうを言いましょう」と書いた(笑)。「最初はせりふでいいから、ありがとうを言おうよ」って。
入浴のスタッフの方が来てくださった時とか、黙ってお風呂に入っているから突っつくんです。「ありがとう」と、最初は読むんですけど、そのうち感情がこもってきて、「ありがとう。きょうはとてもいい気持ちだった。ありがとうね」と言う。そうすると、やはり愛されるんです。私も、痴呆になってもありがとうだけは忘れたくないなと思います。
田丸 会場の19歳の方からです。「若い世代の介護に対する意識は低いと思います。高齢化が進む中で、私たち若い世代にメツセージをお願いします」、太田先生いかがですか。
太田 医者は命を預かると言います。命はライフですね。でも、ライフは生活でもある。ですから、生活全般をみる医者がいてもいい。私は十何年間、生活の場に踏み込んで医療をやってきましたが、最近、「あんたの人生を丸ごと面倒をみるぞ」ぐらいの意気込みがないとやれないなと感じています。人生を面倒をみるなんていうのはおこがましい」限りなんですよ。でも、死をみとるといいますか.死は医療の敗北ではない。必ず訪れるものです。ですから、死を明るく語って、人生の蹄めくくりを満足感あるものにするよう、がんばっていきたいと思います。
田丸 加藤さんはどうですか。
加藤 私の母がいつも申していたのは、「気がついた時から始めればいい」ということなんです。「まだ20歳だから」でも、「もう80歳だから」でもない。気がついた時から始めればいいのだと。
もうひとつ母が言っていたのは、「誰にでも使命があるんですよ。あなたにしかできない、あなただからできることがある」ということ。「ご自分の胸に手を当てて、自問自答してください。必ず、気がつく日があります。気がついた時から一生懸命なさることが、あなたの生きている証であり、周りの役に立っている証なんです」と申しておりました。そんなふうにしてみんなが生きていくことが、やっぱり建設的な世の中、日本をつくっていくんじゃないかなと思うのです。
田丸 いい言葉ですね。ありがとうございました。羽成さん、お願いします。
羽成 介護というのは、機会があったら、経験したほうが得だと思います。介護の果てには死がありますけれど、病気で亡くなっても、歳をとつて亡くなっても、死は一生懸命生きた人に与えられるご褒美だと思うんですね。ですから、今後どんなに不自由になっても、「生きる、生きる」という気持ちで生きないと、死にたどり着けないなと実感しています。私は、次の世代に自分の老いと死をみせるのを最大の財産にしたいと思っています。
田丸 ありがとうございました。
皆さん、いかがだったでtょぅか。介護する方もされる方も、結局は自分の人生と向き合うことなんだなと思います。そして自分の人生をいきいきと充実して生きていれば、老いてからも「介護を受ける側になっても、生きていてよかったと思い、自分の人生をまっとうできるのではないかなと思いました。
自宅に帰られたら介護に取りかかる方もおられると思いますが、前向きに、ボジティブに、そして使命感を持って続けていければすばらしいですね。
構成◎西所正道 撮影◎本社写真部

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