下野新聞『しもつけ随想』2003年6月1日掲載
一本の点滴

 身体は細胞からできているので、老化の研究は細胞レベルでも行われている。分子細胞学などといわれる新しい分野であるが、いかなる細胞も分裂できる回数が決まっているらしい。分裂のたびにテロメア(染色体の末端部位)が短くなり、同時に細胞の中の水が徐々に失われ、細胞の寿命がくるようだ。「老化とは、細胞内脱水の過程だ」と研究者に言わしめるほどで、若い人たちの瑞々(みずみず)しさと「水」のイメージを重ねあわせてしまうのは、私だけではないと思う。

 さて在宅で療養している虚弱な高齢者の方は、ほとんど脱水傾向にある。もともと身体の水分が少ない上に、のどの渇きを感じにくく、お茶が飲みたいなどと思わなくなる。このような生理的特徴に加えて、膝や腰の痛みでトイレに行くのが大変だったり、排尿の失敗や夜間の頻尿を恐れ、水を飲まない生活習慣が身についてしまっている。だから、ひとたび体調を崩し、発熱が水分消費を増やし、飲水で補えなくなると、あっという間に脱水症が悪化し、命を奪われることにもなりかねない。

 八十八歳のTさんは、暮れに熱を出し寝込んでしまった。風邪薬を飲みながら、三日間布団の中で過ごしただけで、立てないほど足が弱って、夜間には支離滅裂なことを口走るようになった。突然の変化に家族が心配し、病院に連れて行ったが、痴呆を理由に入院治療は必要無いと薬だけもらって戻って来た。熱心に看病しても、容態はどんどん悪くなっていった。

 私が往珍した時には、褥(じょく)そうができ始め、おむつを当てがわれた状態だった。食事も取れていなかったのだろう。口の中は乾燥し、舌には白い苔が生えていた。「お世話になります。すみません」と弱々しいけれども、丁寧な挨拶から、痴呆が進んでいるようには感じなかった。尿検査の結果からも、重症な脱水あるのは明らかで、すぐ点滴を開始した。すると、わずか一本の点滴で、見違えるほど元気になってきた。点滴のために数日間往珍した。そのたびに活気が出て、一週間後には食事もとれるようになった。やがて布団から出て椅子に座れるようになると床擦れもよくなり、なんと今は流濯物を取り込んだり、孫の面倒を見ながら留守番までしている。電話での対応は、ちょっと難しいが、ボケと感じ症状は全くない。

 高齢者の具合が悪くなったとき最初に疑うのは脱水である。原因はさまざまだが、脱水が痴呆症状を引き出し、悪化させることもある。ところが脱水症と診断がついているのに、もう年だから、ボケもあるからと、点摘の必要は無いと決めつけられることもある。また家族が治療を拒否することも起こる。

 我が国では、高齢者医療をどのように行うべきか、あまり議論されることはない。救急外来に運ばれれば、徹底的に救命治療が行われることもあるし、外来を受診すると薬の投与だけで終わることもある。それは医療の必要性を医学的データーだけから判断しようとしているためである。ひとたび暮らしの場に足を潜み入れ、その人らしい生活を知ると、どんなに高齢でも、痴呆があっても、がっちり医療が必要なのか、もはや自然の経過を見るべきなのか、自信をもって決めることができるのだが。生きざまを知らずして果たして高齢者へ適切な医療が行えるのだろうかと自問自答の昨今である
身体は細胞からできているので、老化の研究は細胞レベルでも行われている。分子細胞学などといわれる新しい分野であるが、いかなる細胞も分裂できる回数が決まっているらしい。分裂のたびにテロメア(染色体の末端部位)が短くなり、同時に細胞の中の水が徐々に失われ、細胞の寿命がくるようだ。「老化とは、細胞内脱水の過程だ」と研究者に言わしめるほどで、若い人たちの瑞々(みずみず)しさと「水」のイメージを重ねあわせてしまうのは、私だけではないと思う。

 さて在宅で療養している虚弱な高齢者の方は、ほとんど脱水傾向にある。もともと身体の水分が少ない上に、のどの渇きを感じにくく、お茶が飲みたいなどと思わなくなる。このような生理的特徴に加えて、膝や腰の痛みでトイレに行くのが大変だったり、排尿の失敗や夜間の頻尿を恐れ、水を飲まない生活習慣が身についてしまっている。だから、ひとたび体調を崩し、発熱が水分消費を増やし、飲水で補えなくなると、あっという間に脱水症が悪化し、命を奪われることにもなりかねない。

 八十八歳のTさんは、暮れに熱を出し寝込んでしまった。風邪薬を飲みながら、三日間布団の中で過ごしただけで、立てないほど足が弱って、夜間には支離滅裂なことを口走るようになった。突然の変化に家族が心配し、病院に連れて行ったが、痴呆を理由に入院治療は必要無いと薬だけもらって戻って来た。熱心に看病しても、容態はどんどん悪くなっていった。

 私が往珍した時には、褥(じょく)そうができ始め、おむつを当てがわれた状態だった。食事も取れていなかったのだろう。口の中は乾燥し、舌には白い苔が生えていた。「お世話になります。すみません」と弱々しいけれども、丁寧な挨拶から、痴呆が進んでいるようには感じなかった。尿検査の結果からも、重症な脱水あるのは明らかで、すぐ点滴を開始した。すると、わずか一本の点滴で、見違えるほど元気になってきた。点滴のために数日間往珍した。そのたびに活気が出て、一週間後には食事もとれるようになった。やがて布団から出て椅子に座れるようになると床擦れもよくなり、なんと今は流濯物を取り込んだり、孫の面倒を見ながら留守番までしている。電話での対応は、ちょっと難しいが、ボケと感じ症状は全くない。

 高齢者の具合が悪くなったとき最初に疑うのは脱水である。原因はさまざまだが、脱水が痴呆症状を引き出し、悪化させることもある。ところが脱水症と診断がついているのに、もう年だから、ボケもあるからと、点摘の必要は無いと決めつけられることもある。また家族が治療を拒否することも起こる。

 我が国では、高齢者医療をどのように行うべきか、あまり議論されることはない。救急外来に運ばれれば、徹底的に救命治療が行われることもあるし、外来を受診すると薬の投与だけで終わることもある。それは医療の必要性を医学的データーだけから判断しようとしているためである。ひとたび暮らしの場に足を潜み入れ、その人らしい生活を知ると、どんなに高齢でも、痴呆があっても、がっちり医療が必要なのか、もはや自然の経過を見るべきなのか、自信をもって決めることができるのだが。生きざまを知らずして果たして高齢者へ適切な医療が行えるのだろうかと自問自答の昨今である