下野新聞『しもつけ随想』2003年4月27日掲載
寝たきり老人に医療がある国、ない国
 「寝たきり老人に医療がある国、ない国」  北欧や英国、米国ではせいぜい数%といわれる寝たきり老人が、わが国の老人施設では、30%〜40%である。これが寝たきり大国と揶揄される所以であるが、とりわけデンマークには寝たきり老人がいないと巷では信じられている。だからデンマーク信奉者らにわが国の福祉施策の貧弱さを非難する根拠とされてが、一方で寝たきり老人に最高の医療がこってり提供されるすばらしい国であるとの評価を聞くこともない。 在宅医療を始めたころ、人手のなさから寝かせきりにされている老人があまりにも多いことに驚いた。彼らはほんとうの寝たきりではなく、車椅子にすわらせれば立派に活動できる人たちであった。寝たきりの生活は身体も心も頭も衰弱させる。時には寝たふり老人もいるが、入浴すらできないまま、オムツをあてられ、ただ寝かされている状況は悲惨であった。療養環境、生活習慣など暮らし方そのものの問題や、高齢者への偏見など市民の意識のなかにも根の深い理由があり、医療を取り巻く周辺に原因がありそうだった。 個人の収入の半分以上が税金という高負担高福祉の国々では十分な社会的介護力に頼れるので寝かせきりはありえないし、さらに自己決定や選択、自己主張が社会の基本となれば、寝たふりでは生きていけない。しかしそれだけでの理由で寝たきり老人がいなくなるのだろうか。デンマーク人でも脳卒中などで寝たきりになることはあるはずだ。それにも係らず寝たきり老人がいないとなると、「寝たきり」とは、すなわち「死」を意味するのではないか、そんな素朴な疑問もわいてきた。そこでこの眼で確かめてみようとデンマークに出かけた。王室から勲章をいただいた友人の口添えで、保健省への訪問も許可された。私のなぞは解けた。 「生きるということは、息をすることではなく、社会に何かをすること。回復見込みのない病気や老化に対しては、医療以上に必要なことがいっぱいあり、人生をどのように締めくくるのか、すべてのデンマーク人が答えを持っています。大切なものや愛する人に囲まれて自宅で、最期をより快適に迎えるために、国民の合意のもとに制度が作られています。寿命の長さが、すぐれた社会保障の指標ではありません。」医系技官アナセン先生の言葉である。 日本では、寝かせきり老人の体調が思わしくないと、救急車で病院に運び、植物状態でも、命の量を目的にした医療が延々と行われる。命を閉じるまでの3ヶ月間の老人医療費が、総医療費高騰の元凶と分析されて久しいが、医療を享受する国民一人ひとりが、賢明な医療消費者とならないかぎり、改善できる問題でなさそうだ。 デンンマーク人ガイドが、訪問ナースと共に祖母を自宅で看取った1950年代の体験を克明に語ってくれたが、訪問看護制度など望むべくもない同時代に、私の祖父も自宅で亡くなっている。それから半世紀、デンマークでは自宅で人生の終焉を人間らしく迎えるシステムがより洗練された。しかし、日本では寝たきりとなって病院で死を待。これは、政治的な問題として政策的解決を模索した過ちである。「寝たきり問題」はまぎれもなく「教育的課題」だったのだ。