下野新聞「しもつけ随想」2003.2.16掲載
生きる権利、死ぬ権利

生きる権利、死ぬ権利
国際高齢者団体連盟(IFA)主催の第6回世界会議が、昨年10月にパース(豪州)で開催された。「成熟社会の課題」というテーマは、超高齢社会をポジティブにとらえている気がして共感を覚えて参加した。世界のいかなる国も経験したことのない早さで世界一の長寿国になった我が国の高齢者施策には、世界中が注目している。しかし、一方で寝たきり老人の溢れる不思議な国という前評判が、疑問や批判として、時には怒りとして、容赦なく投げかけられた。
「回復の見込みが全くなくなった高齢者に、医療を提供し続けることに、医師として罪の意識を感じませんか」、「日本の患者には死ぬ権利がないのですか」などという質問には面喰らった。単に文化的背景や宗教の違いだけでは理解しあえない、異質な死生感に複雑な思いが巡り、Sさんの詠んだ一篇が浮かんだ。
彼女は、90才になったころから、足に血液が充分行き渡らず、右足を膝の上で切断した。残った足も同様。一部皮膚の色が変わって歩けないので車椅子生活である。ある時「生活は不便になったと思うが、命が奪われる病気ではないのだから・・・・」この不用意な言葉に、「死ねないから辛いんですよ、患者の気持ちも理解してください」と諭された。「死にたい、死にたい」と訴える患者は少なくない。でもそう言いながら、診療所の待ち合い室で1時間も2時間もじっと診察を待っていてくれるのだから、「寿命はね、あなたが勝手に決めちゃだめだ。昔から神様が決めることになっている。」と、適当にかわしていた。しかし、彼女には通じない。「神様がいたら、私の足を持っていったりしませんよ」と巧みな問答で私を困らせた。その次の往診時であった。

 「今日もまたベッドの上で思うのは
死を見つめつつ生きる苦しみ」
歌を詠んでくれたのである。彼女の気持ちが痛いほど伝わり言葉を失った。長い沈黙のあと、ドアの取っ手に手をかけながら「勉強させてもらった」と礼を言うと、「これからは、先生に歌を聞いてもらおう」と彼女の顔から笑みがこぼれた。
臓器が売買され、安楽死ですら合法化された国がある。身体が温かくとも脳死と判定されれば、これを人の死と看做し、臓器が移植されるに至った。善か悪かを述べているつもりはないが、合理精神があたかもグローバルスタンダードで、文化的であるかに錯覚されていると思えてならない。日本人は義務や権利という概念だけでは語れない、義理や人情のなかで暮らし、生きてきた。長老を敬愛し、長幼の序をわきまえ、長寿をたたえるような儒教的な思想を、生活の中から拭い去ることはできないはずだ。
長寿国となったからといって、けっして良い医療が提供された証左ではない。生命をあやつるような不適切な医療が、苦痛を生むことがあると素直に認めるなくてはならない。よりよく生きるために暖かな医療があるべきで、死は人生を完全燃焼させた結果訪れるべきものである。生きる権利は文明によって保障されたはずだが、死を権利としてとらえなくてはならないのは、いのちを「生命体」とみなした医学のせいに違いない。死を見つめつつ生きても、充実した人生であってほしいと願って往診する毎日である。


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