訪問看護と介護〔第8巻・第6号〕 
医学書院  管理者日誌 B
管理者見習日誌
医療法人アスムス
わくわく訪問看護ステーションおやま
小薗江 一 代

 今回は,平成14年度採用の新人2人を紹介します。彼女たちの訪問看護を志した動機や,実際に訪問看護の現場を知ってからの感想を紹介します。

渡邊ともえ:関西出身(看護歴9年)

「眉毛も濃いが情も濃い。愛ある訪問看護害を目指しています」

 チャイムを鳴らし,「こんにちは,はじめまして……」病院勤務時には,経験したことのない玄関での挨拶。今まで患者さんを迎える病棟看護師だった私が,逆に迎えられる訪問看護師となったのは去年春。

「家に帰りたい」と望みながらも,物々しい最新医療機器に囲まれ,体中に管を入れられたまま,最期を迎える患者さんを看て,「もうちょっと違う医療もあるんじゃないのかな」と感じたのが,在宅医療に興味を持つきっかけだった。

 在宅医療は普通の生活そのものだ。誰でもが当たり前にするように,訪問最初の儀式は,家族紹介。暗記カが問われる。例えばHさんはお孫さん4人を含めた8人の大家族。ペットも含めると8人プラス2匹分の情報をインプットしなければならない。緊張する。そしてお茶を飲みながらの歓談もある。病気のこと,家族のこと,親戚のこ

と,近所のこと,嫁姑のこと…。そんな会話を通して,障害を持ちながらも,孫の成長を楽しみに暮らしているHさんの実生活がよく見えてくる。部屋を見渡すと,欄間の横には地域に貢献してきた何枚もの感謝状が,ちょっと汚れた額のなかでセピア色になっている。意気揚々と生きた時代に,私もタイムスリップできる。きっと親分肌で,多くの友人に慕われていたのだろう,彼の人間性もよく見えてくる。

 農業一筋だったTさんは,93歳。このお宅も大家族だ。彼の息子と孫は同じキャラクター。きっと彼もそんな人柄だったのかなあと,ほのぼのする。台風が近付いた秋の日,便の具合が悪い。軟便が続き,やがて水様性となった。脱水は命取りだ。主治医に報告したら,早速整腸剤が処方された。暴風雨のなか,薬を届けた。次の日,効いて

いてくれ,と祈るような気持ちで電話を入れた。なんと家族は内服させていないと言う。「台風で田んぼが水没して,今それどころではない」との返事。幸い彼の下痢は止まり,今でも元気だが,そんな理由も在宅ではアリなのだ。在宅療養は病院のように完璧に管理されていないが,それでも病院よりみんな元気なのである。

 長い療養中には思わぬことが起きたりもするが,それが日常生活であり,だから人生を楽しめるのだと思う。その生活のリズムを乱すことなく,医療や看護が存在するのだなあと実感する。これが訪問看護だ。実生活そのものを知って,そのなかで患者さんに接することができる。ここに訪問看護のおもしろさがあると思う。

 私たちの訪問看護ステ←ションは24時間サポート体制。訪問看護師になってからの数週間は夜でもふっと目がさめた。「熱下がったかなあ。吐き気は止まったかな…」と患者さんの病状が気になり,緊張のあまり熟睡できないこともあった。

 人生最初の緊急訪問は忘れもしない雨の深夜。先輩と2人で受け持っていたのだが,仕事にも慣れたということで,たった1人で訪問するようになってすぐのことだった。真っ暗な農道を,勘と度胸でひた走り,やっとの思いでたどり着くと,家族全員で出迎えられた。発熱があり,意識が朦朧としていたため,家族に状況を確認すると,脱水だろうということは容易に推測できた。医師と連絡をとり,点滴をして様子をみることになった。

 その後,「夜遅くほんとにすいません。夜でもなにかあれば駆けつけてもらえるから,じっさんを家で看られるのも看護師さんのおかげだわ」と,家族から感謝の言葉をいただき,ちょっと照れくさかったのだが,結構誇らしくも思えたりした。帰りもまた家族全員で,まるで旅館のお見送りのように深々と頭を下げる姿をバックミラーで見ながら,同じ道を帰った。

「もし」という不安のなかで介護している家族にとって,「いつでも看てもらえる」という安心感は在宅療養の大きな支えだ。それは在宅医療に必要不可欠な要素だと身にしみて感じた。ちょっとしたトラブルで救急車を呼んで,そのまま入院。退院した時は,別人のようになっている症例をたくさん見てきたから,なによりその後,患者さんがいつもどおりの生活を送ってくれていることが一番うれしい。

 訪問看護師になって間もないころ,ある医師に「雪が解けたら何になる?」と質問され,「水になります」と答えた。「いや,春になるんだよ」と言われ「はっ」とした。そういう柔軟性のある,人間性の豊かな訪問看護師でありたいと思いながら訪問する毎日である。

佐藤正子:東北出身(看護歴9年)

栃木弁 覚えながらの訪問も アツと言う間にはや1年「身体こわいけ? だいじかい?」(訳:身体はだるいですか? 大丈夫ですか?)

 今年の4月で訪問看護師となって1年になる。そんな私が訪問看護に興味を持ったのは看護学生になって間もないころだった。日本がどんどん高齢化社会となっていくことを学んで,これからは在宅の時代だと確信を持った。

 看護学校を卒業し,救急も扱う総合病院に洗職した。漠然とではあるが,いつかは訪問看護をやりたいと思っていた。数年勤務したころである。日々の業務や検査等に追われ,ゆっくりと患者の話を開いたりする時間のないことに疑問を感じ,毎日がちょっと嫌になってきていた。内科病棟に6年といえば,ほとんどの業務はこなせるようになり,自信もつく。そうして訪問看護師になる具体的な目標がみえてきたのだった。「きっと在宅では脳出血や脳梗塞の後遺症で麻痺のある方が多いだろう。それだったら脳外科で学んだことを在宅に生かせるのではないか」と考え,異動希望を脳外科病棟と書いて提出した。運良く脳外科勤務となったが,脳外科病棟では,急性期を脱して状態が落ち着き,リハビリが中心となるころには転院になる患者さんが大多数を占めていた。結局中途半端な関わりしかできない,その現実にがっかりしてしまった。

 よし,それなら思いきって地域に出て訪問看護をやりながら勉強しようと決心がついた。そんな時,県看護協会主催で,在宅医療の講演会があり,たいへん在宅にカを入れでいる診療所があることを知った。是非こういうところで訪問看護をしたいと思い,月に一度の研修を願い出た。これが私の訪問看護師になるまでの歴史である。

 施設看護のことしかわからない私にとって,在宅看護はとても新鮮だった。訪問看護ステーションの看護師の皆がとても生き生きしている姿を見ると,やりがいがあってとても楽しいんだろうなあと思えた。そして,訪問看護を利用している方々の表情や顔色が,病院の患者さんとは全然違うことに気付いてびっくりした。ばたばたと慌ただしい病院とは違って,在宅では時間がとてもゆっくり流れているような感じがした。

 実際に訪問看護をやってみると,楽しいことばかりではなかった。訪問は基本的に1人でするので,なにかあった時には自分1人で判断し,なんとかしなくてはならない。とても不安である。完全な受け持ち制なので責任も重い。そして365日24時間体制なので,夜間でも休日でもなにかあれば出動する。だから休日でももしなにかあったらどうしようという気持ちがある。しかし,定期訪問時にしっかり管理ができていれば,急変することも少ないし,ちょっとした変化があれば,すぐ医師の往診が受けられることが多いので,緊急で呼ばれることはほどんどない。

 確かに大変なことも多いが,それだけやりがいがあると言える。何より自分がずっとやりたかったことを自分で判断して,転身したのだから後悔はない。それどころか訪問看護をやってよかったと思うこともたくさんある。訪問看護を経験してみて,あのころを振り返ってみると,病院という場所は生活の場ではなく,治療だけの場であるということを強く感じる。薬のにおいはしても,生活のにおいはない。しかし,在宅には,患者さん

自身が長く暮らしてきた歴史とともに家があり,家族がいる。時には,ペットだって家族だ。きっと,何年も介護してくれる家族がいるからこそ,在宅で暮らせるのだと思うが,それは家族にとっては大変なことだろう。だから,在宅には愛があふれているなあといつも感じる。そして,そんな在宅で過ごせる人にもっと幸せに生活していただく手伝いが,私にできるのだと思うと,自分自身も幸せになる。

 もう施設勤務に戻ることはないだろう。まだまだ未熟者ではあるが,これからも,ずっと地域で看護を続けていきたい。訪問看護師になって,ほんとに良かったと,この1年を撮り返りながらしみじみそう思う。

 

 第1回に中村看護部長が書かれたように,2人とも,しっかりとした動機付けがされている。だからこそ,制約の多い365日24時間体制でも,患者の力になれることを喜びとして感じてくれている。就職当時は皆同じように,病院と在宅の違いにカルチャーショックを受ける。それでも1年経つと思考の方向が,「患者さんの幸せのために自分たちはどうお手伝いできるか」に変わってくる。

前回も述べたが,これが仕事をしていく上での生きがいになっていく。彼女たちも,この気持ちを忘れずにいて欲しい。たくさんの経験を積み,味のある訪問看護師に成長していく姿を楽しみに見届けたいと思っている。
よい「かかりつけ医」とは?

 地域で生活するには,信頼のできる「かかりつけ医」を見つけることが大切である。しかし,三ツ星レストランのように,評価や格付けがされていないから,「一体どこの,なんという医者がほんとうにいいのか?」というのは社会の謎だ。レストランなら美味しければ,別に星が付いていなくても何度でも足を運ぶが,病気だったり,看取ってもらったということになると,そんな機会も少ないし,「看取りが上手な医師」などという評判はかなり怪しい。

 さらに生きている間に,「〇〇先生に看取ってもらったらいかが?」などとは,他人には勧めづらい。だから噂も流れにくい。また医師が紹介してくれたからといって,素人目に「当たり」とは限らない。手術が上手いだけで,人格はちょっと…ということもある。もちろん,いざというとき,往診や訪問診療をしてくれる親切な医者ならよいが,かかってみないとわからないから,いっそう悩ましい問題だ。

●理想の「かかりつけ医」像

 同業者の看護師として,理想の「かかりつけ医」像を語れば,大学病院の医師のように疾患を診ていくだけでなく,自宅で生活していくために必要な指導や助言ができることも重要な要素になってくる。町医者であるからこそ手を抜かず,世間話のひとつもできる身近な存在であって,なおかつトータルに診られることが大切な条件だ。高齢者でも検査や治療の必要性があると判断すれば,地域に根ざした鮮やかなネットワークで,診診連携,病診連携を速やかにとってくれれば,患者にとってもこんな安心なことはない。

 在宅医療をしているのだから,医学という学問で捉えた血液検査の結果などの情報交換だけではなく,患者の人間性や個性,生活環境,社会性などを踏まえた上でのやりとりが,地域にいる医者たちには本来必要なはずだと感じている。

 まるで自分は万能だと言わんばかりに,すべてを1人で抱え込む医者の意地やプライドは患者さんにとって何の意味もない。「専門ではないから,自分にはわからない,〇〇先生に参てもらおうか」と言いきる医師にこそ安心感を覚え,信頼できるのは私だけなのだろうか。

●かかりつけ医の人間性や個性を知る

「生活のなかで医療をする」ということは,病気を診ているのではなく病人を看ているのである。そして相手が高齢者だから,死という事態も自然にやってくる。突然のこともある。その時,医師がどう考え,どう対応してくれるかがポイントであり,現場でもよく事件になる。医師の人生観や死生観もその時の対応に大きく影響する。定期的な訪問診療や往診はしていても,いよいよ危ないとなると「病院に入ったほうがいい」などと言い出したら,それこそ本当に危ない医者だと思う。家族が何年も自宅で看病しながら生活してきた経過を踏みにじることになってしまう。

 死に方ではなく,どう生きたかが大切なのだと思っている。だから看護師も,チーム医療を展開する仲間として,かかりつけ医の人間性や個性を知っておく必要がある。形式に従い,指示書と報告書を取り交わすだけの関係では,同じ土俵に立っているとは言えない。どんなに優秀であっても,医師1人だけでは患者を支えることはできないし,看護師だけでもまた同じである。基礎学力に差があることは誰が見ても明らかなのに,何が気に入らないのか,何を心配しているのか,時折看護師の話には耳を貸さない医師がいる。コミュニケーションに障害をもっているということはチーム医療をする上での障害以外のなにものでもない。私たちは互いに理解し合えるよう医師に対し密に連絡をとり,疑問は投げかけ,反論があれば意見を言い,考えを聞き,協力できる関係を常に目指し実行している。

●終末期医療について医師への要望

 訪問看護師として在宅医療に関わっていくうえで,とくに終末期医療について医師に要望することは下記のことである。

・本人と家族はどうしたいのか,という話をよく聞いてくれる(医師の価値観の押し付けでない)。

・一生懸命家族が看てきたことを認めてくれる。

・自宅でも看取ることができると,しっかりとその根拠をわかりやすく説明してくれる。

・家族に死の準備教育を自然なかたちで普段からしてくれる。

・緊急時にはいつでも快く往診してくれる。

・夜間や土日でも死亡確認し,死亡診断書を作成してくれる。

インフォームド・コンセント(説明と同意)

●説明して納得してもらえるか?

 相手に十分な説明をし,納得してもらうという行為について考えてみると,それは特に医療の現場では信頼関係のもとに成り立つもの,またはその延長線上にあるものだと感じている。受け手の理解カや持っている知識の程度がさまざまなのだから,情報の送り手の技量が問われる。選択をさせる内容についても,すべてを説明すればいいというケースばかりではない。それを聞きたくない人もいる。すべてを説明し同意を得ることは確かに原則であるかもしれないが,自分たちで選べない,決められない人もまだたくさんいる。不安を除くために行なわれる説明のはずが,それを聞いたためにかえって混乱させてしまうということだって起こっている。

 説明を聞いて納得し,その満足が信頼につながっていくはずだが,医師に遠慮して本音を言えない人もけっして少なくない。「お医者さまに何かを言うなんて…」という昔のままの固定観念を持った人もいれば,単純に理屈抜きに「反りが合わないから聞きたくない」という例もある。そのあたりは人間だからしょうがないとも思う。

 だからこそチームで敏感に感じ合って,足りないことを補い,必要な情報を共有し対応していくことが大切で,チームとして結果的に善いことができればそれでいいと思っている。スタンドプレイは必要ない。

●共に支え合うことが信頼を築く

 ターミナルのケースの場合,最初のうちは,とくに家族に対して説明する内容は,病態の説明や今後の経過,予測されることなど,量・質ともにとても多いはずだが,最期は「よくがんばりましたね」とねぎらう一言で,何もかもがわかり合えることだってある。つまり信頼関係ができてくれば,徐々に説明する内容は少なくなるものだと思っている。そこには言葉以上に,共に悩みながら支えてきた過程と歴史がある。

 またターミナル期では,精神的に不安定で宗教を必要とする人もいる。医師や看護師も悩みを聞いているうちに,その部分にだけのめり込んでしまうことが稀にある。医療職が宗教家になる必要もないし,それはさらなる混乱を招くだけで,事態がもっと複雑になるといったことも経験している。必要なら宗教家を呼べばいいし,これもチームケアである。常にニュートラルな状態で見守ることが大切だと思うし,そうでなければ説明したことに同意など得らえるはずがない。

活動実績から見る介護保険制度

 当ステーションにおける訪問看護実績の数字から,介護保険制度を眺めてみる。

・利用者は医療保険19%,介護保険81%で,大 半が介護保険適用者である。これは高齢者への訪問が多いということである。

・訪問看護種別を見ると,30分未満の訪問看護1が49%,30分以上1時間未満の訪問看護2を受ける人は17%に過ぎない。より負担が少なく,かつ効率的な訪問看護が継続できていると考えている。

・要介護度を見ると,介護度2〜5までの人が71%を占める。医療依存度が高くなれば専門職の指導や助言が不可欠と言える。気管切開をしているとか,バルンが挿入されている,在宅酸素療法をしているなど,病院にいた時と同じように継続看護が必要だからである。

・支給限度額のなかで,どれだけサービスを利用しているのか,給付管理表で見てみる。最高額が34302単位,最低額が150単位,平均は11002単位で,限度額一杯に利用する人は少ない。

・もともと厚生労働省はサービス利用率を40%程度と見込んでいたらしいので,その読みの正確さには頭が下がるが,要介護認定の結果がどうであれ,本当に必要なサービスは同じ要介護3であっても,人によって大きく異なる。ケアプランが先にあって,そのサービスの必要量で介護度が決まるべきだと思うが,どうも合点がいかない。「寝たきりゼロ作戦」はどこにいってしまったのだろうか。寝たきり支援プログラムになっていることだってある。

・訪問看護の件数で見てみる。平成12年の4月のスタート時1か月180件だったものが15年3月現在で278件になり,患者数は63人となっている(1ステーション)。

 看護師の数が増えたので,単純な比較は難しいが,需要が高まっていることは事実だ。

地域での連携をとりながら

 介護保険が始まったことで,看護師としても,ケアマネジャーとしても,自立支援をめざしたケアのためには,さまざまな指定サービス事業者との連携がより重要になった。以前漠然と叫ばれていた「保健・医療・福祉の連携」は,毎日,目の前で行なわれている。介護保険証の代行申請などの事務処理からヘルパーヘの指導,通所リハビリ(デイケア)スタッフとの送迎の調整,特別指示書に基づく看護処置の継続など,電話連絡はもちろん,利用者宅まで足を運ぶこともしばしばだ。そして,必要があれば,いつでもサービス担当者会議を開き,今起きている問題点や方針などの情報の共有に努めている。

 さらに,訪問看護師は自宅への訪問だけで終わらせるのではなく,デイケアでの様子やどのようにケアされているのかを知っておく必要がある。実際,当法人のデイケアのスタッフに対しても,自宅での様子などを情報提供をしたり,具体的に1患者に合ったケアの方法を指導するなどしている。事業所の垣根を越えた専門職としての具体的なアドバイスこそ参考になり,ケアスタッフの介護の幅を広げ,質の向上にもつながっていくものと考える。しかし,これは同じ法人の運営だからこそ,小回りを利かせて行なえるのであって,敷居の高い事業所があることは否めない。

●訪問者護と訪問介護,それぞれの役割

 介護保険制度がスタートしようとした3年前,訪問看護は訪問介護のヘルパーに取って代わられるかのような噂が流れた。確かに訪問看護ステーションの看板を下ろした事業所もあった。しかし専門とするところや役割の違いは,現場で明確になっている。

 たとえばこんなこともあった。当ステーションで訪問看護を始めた頃,以前から関わっていたヘルパーさんが「ベテランですから大丈夫」と,摘便(法的には医療処置である)を利用者の希望のまま毎日施行していた。実際は,肛門の近くに下りてきた小指の先ほどの便を1,2個掘り出していたに過ぎなかったのである。しかし,看護師としてしっかり関われば,便秘そのもののコントロールが可能となる。そうすれば,摘便の必要もなくなるし,法律に照らし合わせれば違法となる行為を犯すリスクもなくなる。最初に関わった看護師がこうした医療処置の部分で主導権を発揮し,ヘルパーに指導・助言をして役割を明確にしたうえで連携を図れば,利用者も摘便で悩むこともなくなる。

 食事を作ってもらいたい,掃除をしてもらいたい,清拭をしてもらいたい,という事前の計画通りに実賎できる介護行為と,腹痛や下痢,あるいは便秘など,病状が変わったときに直ちに対応する訪問看護への要望は,全く異質なものなのである。

●訪問看護指示書とケアプラン

 医師が書く訪問看護指示書には特別指示書というものがある。これは,1か月14日間に限って,毎日でも訪問看護ができるようにするための,いわゆる急性期に対応したものである。実際に当ステーションでも昨年は15回の特別指示書をもらい,頻回の訪問看護で急性増悪に対処した。

 看護だからこそ病状の変化に合わせて訪問するべきで,ケアプラン通りにいくはずがない。決められた14日間という期限に疑問も感じるし,一体なにがその根拠なのか,疑義もある。限られた期限を有効に利用し,処置やケアを実践しながら,看護評価も行なう。その間には,看護師に代わって家族がケアしていけるように指導をしたり,家族との連携がとても重要となってくる。そして,厄介なことに,この期間はレセプトが介護保険から医療保険に切り替わるから,事務処理はいっそう複雑になる。

 介護保険制度のなかにあっても看護は医療の一部分であり,その連携は必須だが,決して介護の延長線上にあるものではない,と考えている。保健・医療・福祉に携わるそれぞれの専門職が,互いの果たすべき役割と専門性を理解し,尊重し合ってこそ真の連携ができるのだと思う。多くの看護師がもっと地域に出て訪問看護や介護施設で働き,患者の生活を支える医療活動に参加してくれることを願っている。

医療法人『アスムス』の発足

 在宅医療を旗印にしたちっぽけな診療所ができて13年たった。そして,法人化してなんとか10年の節目を迎えることができた。全くお手本のないまま模索し続けた私たちの在宅医療は,実は病気を治す医療だけではなく,日常生活を支援する医療だったことに気がついた。おそらく独自に作り上げたサービス提供システムがあってこそ,より質の高い在宅療養が可能になるのだろう,と自信を深めている。

 そこで,法人名にメッセージを込めて,医療法人『アスムス』と変更した。由来はActivities Supporting Medicine Systematic Services(ASMS)という語の頭文字を合成したもので,「独自のサービスシステムで日常生活活動を支援する医療を提供します」という意味である。
私の看護師人生で,生涯忘れえない,感情のすべてを動員しても,上手く言葉にできない体験がある。こんなに重症で重い障害を抱えた人が,医療との関わりがないところで,何年間もひっそり暮らし続けていた現実。私の知っている世界が,なんと小さな小さな世界だったのかとわかったこと。そして,訪問看護という仕事がどれほど奥の深いものであるかということを,この家族との出会いから教えられた。

T君との出会い

 筋ジストロフィーのT君との出会いは,今から9年前にさかのぼる。ある日,訪問の依頼を受けて医師とともにお宅にうかがった。そこには,体調を崩し,脱水と低栄養状態で横たわる彼がいた。こけた頬,子どものように細い腕,胸は肋骨がくっきりと浮かび上がり,生気の感じられない眼が,人との関わりを拒んでいるように見えた。それまでの病院勤務では見たことのない状態だった。さらに,T君の介護をしていたのは,脳梗塞後遺症で歩行が不安定な,腰が直角に曲がった祖母のNさんだった。ついでと言っては失礼だが,Nさんの健康管理も重要な課題であり,やがて訪問看護を一緒に行なうことになった。

 この世界に飛び込んで間もない私は,新しい受け持ち患者さんが一気に2人増え,はりきって訪問を開始した。ところが,このT君とNさんの関わりが,その後常に大きな壁となって,私の前に立ちはだかり続けるとは思いもしなかった。現場の本当の楽しさも厳しさも,何も知らない時期だった。

入浴拒否

 訪問を開始してしばらくすると,T君の体調は回復してきた。気難しそうに見えたT君だったが,多少はコミュニケーションもとれるようになり,そろそろ積極的にケアしていこうと言葉かけを多くしていった。聞けばしばらく風呂に入っていないと言う。足を見せてもらったらピックリ仰天。歴史を感じる風格ある立流な垢がこびりついているではないか。垢だって,ここまでくるには並大抵の努力ではなかっただろう‥‥‥と思わず感心してしまった。「垢じゃ死なない」なんて昔の人はよく言うけれど,これはちょっと度が過ぎる。垢で死んでしまう日本初の症例となりそうだ。「まずはとにかく風呂だ。風呂に入れよう」。幸い,市からもらったというビニール製の風呂が一度も使われることなく保存されていた。

 入浴を勧めれば,当然「お願いします」という返事が返ってくると思っていた。ところが,拒否された。それからというもの,何度促してみてもT君は断り続けた。風呂に入れるといっても病院とは違うから,準備をするにも家族の承諾が必要である。ここはひとつ母親にも協力を求めようと話をしてみると,これまた「本人が嫌だって言ってるから……」で終わってしまう。清潔な身体での療養の重要性など,どうでもいいという雰囲気だった。

 さあ,困った。「今度就職した平澤は使いものにならない」なんて先輩方に言われてはかなわない。私にも担当としての意地と責任がある。こうなったら根比べだ。確かに私の意地で訪問される度,しつこく「入浴,入浴」と言われ続けたT君には誠に申し訳なかったが,こっちだってT君を風呂に入れる夢まで見て,<なんだ,夢か……>とがっかりしたことだってある。どうしたら風呂に入れられるかと寝ても覚めても考え続け,ずいぶん憂鬱な日々を送っていたのである。

 今思えば,なんてバカなことをしていたものかと赤面する。訪問は,私たち医療者側がお邪魔させていただくもの。私のしたことは,他人の家に土足でズカズカ上がりこんだようなものである。

 それぞれの家庭には,それまでの生活の積み重ねと習慣がある。それらを踏まえた上で,さらに患者や患者を取り巻く家族,時には親類まで理解し,まずはよりよい人間関係を築かなければ仕事にならない。しかし,それはしばらく後になって理解できたこと。この時は,ただ突っ走って空回りしていたようである。まあ,若気のいたりといったところで,自分なりに一生懸命だったことは確かである。もしかしたら,それだけでもT君には伝わっていたのだろうか,この時期,入浴は拒否されても私の訪問が拒否されなかったことに,今はただただ感謝である。

入浴したくなかつた3つの理由

 後日談になるが,私の理解を超越した入洛拒否の3つの理由があった。

その1:この部屋から出ると不安になるから。

 T君にとって自室だけが生活空間のすべてであった。“家の中’ではなく,“自分の部屋’のみである。障子1枚隔てた廊下にすら出ようとしなかった。自力では全く動けないが,パソコンやゲームをするために車イスには移動させてもらっていた。しかし,車イスはいつもパソコンの置かれているテーブルの前にあった。ベッドの位置も車イスの位置も,10cmでもずれたら不安になるというのである。それではベッドの脇に浴槽を置いて身体を移動することもままならず,まして部屋を脱出して浴室へ行くなんてことは,T君にとって未知の世界へ行くようなものだったのかもしれない。

その2:準備をしなきゃならないと考えるだけで面倒くさい。

 確かにT君の生活パターンは単純だった。午前中は排便にかなりの時間を費やし,昼までは疲れて休んでいる。午後と夜の数時間は車イスに座り,パソコンやゲームをする,その繰り返しである。変わったことをしようと思えば,あれこれ考えて疲れてしまうこともある。面倒だと思うこともある。面倒だと思うのが本音なのか,入浴による疲労が心配だったのか,あるいは,多忙な母に余計な手間をかけたくないと言う遠慮もあったのか,<でも,君が準備するわけではなかろうが…>と,私の心が呟いた。

その3:一度入ってしまったら,きっとまた入りたいと思ってしまう。そう思ったら困るから。

 ある日,話の流れでT君がのたもうた。「ぼくはお風呂が大好きで,お湯の中で暮らしたいと思うほどだ」と。オイオイ,ずいぶん今までと言ってることが違うじゃ,ないか。そんなに好きならいくらでも介助する,と話した後の,彼のへりくつだった。

 私には,時々理解に苦しむ不可解な青年ではあった。だが,発症してからの彼の人生を考えると,普通に毎日を暮らしてきた自分には,理解できないことがあっても当たり前かもしれない。T君の心理を理解できなかった自分の心の狭さを見つめながら,健康であることのありがたさをひしひしと感じていた。

ケアはさせていただくもの

1つ壁を乗り越えて,「T君の入浴介助をする」という私の意地はいったん捨てた。訪問に期限があるわけではないし,焦ることはない。とりあえず嫌われないようにしよう,と訪問を続けていたある日,「爪を切ってもらえますか?」とT君が遠慮がちに言った。T君のケアには,どこか諦めムードが出始めていたころだったので,一瞬耳を凝った。母親は老眼で,爪切りはちょっと怖いとのこと。なるほど,そういうことか。ならばここは私の腕の見せ所と,爪切り1つにぐっと気合いを入れた。看護師になって一番うれしい爪切りだった。

 在宅の場において,患者と介護者の家族関係はさまざまで,患者に対する介護者の思いも少しずつ異なってくる。たとえば嫁が始を介護する場合と,母が子を介護する場合,後者の間に入りこむ方が困難を感じる。母には母としての役割があり,息子に対する愛情以上の本能的な思いもある。この関係に必要以上に入りこんで行くことは,小さな親切大きなお世話となることが多い。でも,爪切りという弱点を補えれば,私の役割も彼女に認めてもらえそうである。

 季節はめぐった。やがてT君は病状が進行し,人工呼吸器を装着するため数日間の入院となった。退院後訪問してみると,なんと“やっていただきたいこと’と称した張り紙があった。清拭,更衣,歯磨きなど,ケア内容がそこに書いてある。これはいったいどういう心境の変化か,T君を問い詰めねばと思ったその時,母親が登場した。「おはようございます。私は機械が苦手で,怖くてとっても触れないから,よろしくお願いします」と言ったと思ったら,明るい笑顔とともに,疾風のように去って行った。指導する間もありゃしない,なんとさばさばしたものか。

 こうして突然,かなりの量のケアが私たちにまわってくることになった。あっけらかんとした母の態度に,わずかばかりの腹立たしさを感じたが,いずれにせよあっさりと任せていただけたのは,長年築き上げた信頼関係のたまものだと,思っているのは私だけだろうか?

これでいいのか,訪問看護

 バイタルサインの測定と状態の確認,2週間に1回の手の爪切りと,3か月に1回の足の爪切り。本当に長い間,T君に提供した訪問看護はこれだけだった。あとは雑談である。話のネタは生活状況や疾患に関することもあったが,「え−!松田聖子のファンなの? 信じられな−い!」といったことまでさまざまである。

 ある日,いつものように訪問すると,庭に出ていた母覿が「平澤さんが来るのをいつも楽しみにしているんですよ」と言ってくれた。それはそれでありがたいお言葉ではあるが,私は仕事で訪問しているのであって,友達として遊びに行っているわけではない。おしゃべりして一緒に笑っていたのではやっぱりまずいのではないか,看護師としてどこでケジメをつけるべきかと,少しだけ悩んだことがある。少しだけというのは,私がいつまでも悩んでいることが苦手な0型人間だからである。したがって出した結論はこうである。

 そこに10件の訪問先があれば病状も生活環境もすべて異なる。訪問看護師に求める内容も十人十色である。たとえおじいちゃんに「ラーメン作ってくれ」と言われて,カップラーメンにお湯を入れようとも,素っ裸でウロウロしている3歳の子どもを捕まえて,パンツを履かせようとも,勝手にお茶っ葉を取り替えてお茶を入れ,おばあちゃんに「どうぞ」と差し出しても,在宅ではOKなのである。

 だから,いつも暗いT君が,訪問している間少しでも笑っていられる時間が持てるなら,それでもいいじゃないか。笑いは元気の素である。もっとも,T君が私に笑いを求めていたかどうかは知らない。

私は満足だったけど・・・

 Tくんの祖母にあたるNさんは,常におだやかで愚痴ひとつこぼすこともなく,努力家でやさしい人だった。超多忙な母に代わり,不自由な身体ながらも,ずっとT君の食事や排泄の介助をしていた。2人の部屋は隣同士だったが,中央のふすまを取り外してあったので,実質1つの部屋で同じ時を過ごしていたのである。2人の静かな時間がずっと続けばよかったのだが,彼女も年を重ねていく。やがて以前手術した癌が再発し,在宅で終末期を迎えることとなった。

 Nさんは週1回のデイケアを何より楽しみにしていた。特に入浴は大好きで,元気なころはもとより朦朧とする意識のなかでも「迎えの車が来ないんだよ」と言うくらい,当法人の施設を愛してくれていた。だから,いつ息が止まってもおかしくないという時になっても,Nさんはデイケアに来た。そんな状態で介護職だけで対応するわけには当然いかず,私も酸素ボンベを抱えて送迎バスに乗り込んだ。デイケアのスタッフと一緒に入浴介助もした。浴室に医師を立たせておき,必要だと思えば医師同伴で送迎した。

 無茶と思うことを強引にやってのけたのは,何よりもNさんがそれを望んだからだ。家族も「バァ(Nさんのこと)が行きたいって言ってるからお願いします」と了解した。「いいよ,連れておいでよ」と言ってくれた,デイケア担当の先輩看護師(第4回,5回に執筆した赤木女史である)の言葉も,施設の存在もありがたかった。他の施設なら間違いなく受け入れ拒否だったろうし,非常識な連中とレッテルを貼られそうな行動だったに違いない。

 この時期になると,Nさんはもう自力では動けなくなり,T君の側に行けなくなってしまった。そこで,ケアの合間などにベッドをギャッチアップすると,ちょうどT君の顔が見える。目と目を合わせて,声を掛け合い2人はニツコリ笑っていた。

 そんな2人だったから,今までの生活を考えてもNさんを失った時の悲しみは,誰よりもT君が深く受けるであろうことは容易に想像がついた。だから,ことあるごとにNさんの状態や予後などを,医師の説明と平行しながら念には念を入れて伝え,少しでも心の準備ができるようにと努めた。いつでもT君は,うなずきながらそんな話を静かに聞いていた。大丈夫,落ち着いている。普通に考えれば,祖母が先に逝くことは,悲しいけれど当たり前のことである。T君もそれはわかっている。だからこそ,1日1日を大切に過ごしていたように見えた。いや勝手にそう思ったのだ。

 患者さんと最後の別れを繰り返す度,私の関わりはこれでよかったのだろうか,ああしておけばよかったのではないか,と後悔だけがいつも残っていた。でも,それなりに経験を積み,今回ばかりは私も悔いのない看取りができそうだ,とNさんの看取りにはちょっとした自信のようなものを持っていた。

 電話が鳴ったのは夜中の2時頃だった。暗い農道を車を走らせ到着すると,先に来ていた医師が,死亡確認を終えて外に出てきたところだった。嫌な予感がした。部屋に入った瞬間,私の自信もうぬぼれも,見事にT君にくだかれた。

相手の立場に立つということ

 部屋に入るとT君は泣き狂っていた。何を言っているのか聞き取れないほど,叫びながら,ただただ泣いていた。Nさんの最後のケアをしながら頭の中では「なぜ?」の2文字がグルグル回っていた。手は無意識に動いていたに違いない。「なぜ,こんなことになってしまったのだろう…」。

 当然のことながら,在宅においては患者と同様に,時にはそれ以上に家族の気持ちを大切にしなければならない。今回だって,T君の立場になって精紳的ケアをしてきたつもりだった。そう,‘つもり”だったのである。私の予想は甘かった。

 嫁の気持ち,妻の気持ち,母の気持ちなど,自分の立場を基準にある程度理解できる。しかしそれも,あくまでも予想の範囲である。ましてや,ずっと長い間,祖母と一緒にいた孫の気持ちなど,私の常識ではとうてい近づけるものではなかった。“相手の立場に立って‥‥”とよく言うけれど,それは心の扉にほんの少し手をかけた程度に過ぎないのかもしれないと,自分の浅はかさを振り返り反省した。

 翌日,T君の母に頻まれて,告別式に出られない彼の側に半日付き添った。かける言葉が見つからず,黙って座っていた私に,T君はNさんへの思いをポツリポツリと話し始めた。「バァは,もうつらい思いをしなくてすむから,今はこれでいいと思っている」。その言葉に,一番救われたのは私かもしれない。

山あり谷あり訪問人生

 Nさん亡き後,T君はしばらく体調不良が続いていた。ダメージの大きさは,これまた予想以上で,完全に立ち直ったと感じるまで半年以上を要した。気がつけば年はかわり,また春がきていた。Nさんのいない,Tくんと迎えた7回目の春だった。T君はようやく前向きに自分の人生を楽しもうとしており,「パソコンとテレビとつなぐためのケーブルがどうだの…」と,機械オンチの私には難しすぎる話をしていた。自分は「引きこもり」かもしれないだの,人見知りするだの言っておきながら,もうすぐ若い看護学生が実習に来ることを実は楽しみにしていた。私たち担当看護師をさしおいて,君もやっぱり若い子がいいのかと,これには少々ムッとした。ムッとしたが,ホッとした。全てが春とともに,いい方向に進んでいきそうな予感のなかで,ウキウキして忘れかけていた。「病態は末期だから,いつ心臓が止まってもおかしくない」と言った医師の言葉を。

 ある朝,T君は静かに息を引きとった。予告のない,あまりに突然の死にショックを受け,うろたえる母に,今度もまた,かける言葉がなかった。今思えば,この突然の死もまた,「いつ何が起こるかわからないんだよ」というT君自身からの最後の忠告のようにも思う。

 山越え谷越え,今後も続けて行くであろう私の訪問人生において,T君とNさんとの関わりを忘れずに歩んでいきたいと思う。現場の楽しさも厳しさも,そして喜びも悲しみも,みんなT君とその家族を通して学び,成長させていただいたのだから。
ようこそ,健診会場へ(?)

 午前10時すぎ,近所のおばちゃんたちが集まって,お茶を飲むのどかな時間。ちょうどそんなところへ訪問すると,「あたしもちょっと血庄測ってくれっかい?」と腕が出てくる。さらにすごいのは,「今,看護師さん来てるからぁ,血圧測ってもらいなよ」と,道を歩いている人まで拉致されてしまう。こうして,本当の患者1名とその家族,私の知らないご近所のおばちゃん数名,ざっと6〜7名の血圧測定が始まり,その家は健診会場となる。

 ここで(あなたたちは関係ないでしょ‥‥)なんて思ってはいけない。近い将来,うちのお客様になるかもしれない方々なのだ。日頃のサービスはとても大切。もちろん営業用スマイルも忘れずに。「うちも,そのうちこうやって来てもらえっかな」(しめしめ,と私)「〇〇さんも頼みなよ。ホントに助かるから」(そうそう,その調子)

「でも困ったよ」

「何が? と−ちゃん元気すぎて?」

「うん,そ−なんだ」

(あら〜ん,利用者の増加はまだまだ先ね……)

 管理者になって以来,「経営」の2文字が常に頭から離れない。それまでは,私には無関係だった経営なんて世界に,少なからず足を踏み入れなければならなくなった私の災難(?)と,今までのステーションの状況を振り返ってみたいと思う。

経営は人を変える?

 介護保険制度の導入に先駆けて,おやま城北クリニックの訪問看護部から分離し,「わくわく訪問看護ステーション」として再スタートを切ったのは,平成11年10月のことだった。100%田舎者の私が,冷や汗をかきながら電車を乗り継ぎ,やっとの思いで東京まで通った1週間の管理者研修を思い出す。「新しく事業を始めるとき,3年間は赤字でもしょうがない。ただし,4年目に黒字にならなかったら,その時は,ちょっと考えなけりゃいけませんよ」。ある講師がそう言っていた。4年経った今でも覚えているのは,この言葉だけである。「そうか,3年は赤字でもいいんだ」と,自分に都合よく言い換えて,ホッとして帰ってきた。
3年もあればなんとかなる。看護師2.5名の場合,患者数30名でほぼトントンらしい。当ステーションの場合,事務員も配置してくれるらしいが,それでもまあ,患者が40名になれば黒字になるだろう。単純な上に大ざっぱな,いわゆるどんぶり勘定をして,とりあえず「3年後には,患者数40名」を目標にした。いや,待てよ。うちのあの太田理事長はせっかちだから,ここはひとつ2年後くらいにしておこう。そう心に決めて,訪問看護ステーションは始まった。

 開始早々に頭を抱える原因となったのは,私の予想をはるかに超えて,せっかちこの上ない理事長だった。スタートしてわずか1か月もたたないうちから「どうだ,患者は増えたか?」と,この間までは呼んでも来ないステーションに,呼びもしないのにやってくる。これには参った。ひととおり挨拶回りはした。それでも努力が足りないとのたまうなら,かくなる上はパンフレットにティッシュでも付けて,駅前で配ろうかと思ったほどだったが,何はともあれ,私の目標は1年半後には達成された。

 訪問看護療養費は5300円で,それまでの医療機関からの訪問看護・指導料と変わりはなかったが,訪問看護ステーションになると,これに管理療養費の2900円(月の初日は7050円)が加算される。「なんだ,ステーションの方が儲かるじゃん」と最初は単純に喜んでしまった。ちなみに,この管理療養費とは,<訪問看護計画書及び報告書を主治医に提出するとともに,必要に応じて主治医との連携確保や,訪問看護の実施についての計画的な管理を,継続して行なった場合に支給されるもの>とされている。同じ法人内とはいえ,当然すべき手続きはきちんとしなければならず,その手間を考えると,それほど喜んでいる場合でもなかったのだが,それに気づいたのは少し後だった。

 患者数25名からのスタートだったので,言うまでもなく最初は赤字である。しかし,3か月後には患者数も35名になり,収入もいい調子で増え,訪問看護はなんておいしい商売かしらと舞い上がった。訪問回数が足りないとか,処置伝票にチェック漏れがあるとか,細かいこと(?)に目をつりあげて怒る事務のお姉さんの気持ちも,「患者は増えたか?」と何度も姿を現した理事長の気持ちも,実によくわかるような気がした。収入が増えたからといって,自分たちの給料になんら影響があるわけでもないのだが,それでも毎月出てくる金額を見ると,実績を客観的に示されているようで,楽しみでもあり,一方で怖くもあった。訪問看護の質とは無関係のところでこのまま自分の性格が変わってしまわないように,少し冷静になろうと努力した。

介護保険の大打撃

 平成12年4月に介護保険制度が導入されると,訪問看護ステーションもそのなかのサービス事業者の1つとして位置付けられた。ところが,訪問看護ステーションに限り,医療保険の通用もあることが他の介護保険サービスと異なった。この人は医療保険だ,この人は介護保険だ,はたまたこの人は,介護認定を受けているけど訪問看護は医療保険だ……と,4月を前にして混乱を招いていた。この混乱は4月以降もしばらく続き,ケアマネジヤーもよくわかっていないようで,「限度額がいっぱいなので,訪問看護は医療保険でお願いします」なんてことをよく言ってきた。その都度,「介護認定を受けているなら,この方の場合は医療保険ではいけませんよ」とか,「この方の病気だと,訪問看護は医療保険の対象になるので,サービス利用票には入れないで下さい」とか,ケアマネジヤーの指導までするはめになっていた。

 もう1つ,やっかいな問題があった。身体障害者福祉法とのすみわけである。主に,身体障害者手帳の交付を受け1級・2級に認定されている方たちは,自己負担なく訪問看護を受けられていた。ところが,介護保険の認定を受けたとたん,この制度は通用されず利用料の1割負担が生じる。利用者側にしてみれば,介護保険料も取られ,利用料も取られるようになってしまうこの事態,どう考えても納得いかないという顔だった。それでも訪問を断られるということはなかったが,利用者宅の経済状況や限度額を考慮した上で,訪問回数の減少を提案せざるを得ないケースも何例かあった。

 当初は,対象者全員にとにかく介護保険の申請を出さなければならないといった誤解もあったが,1〜2か月経過し事態が落ち着いてくると,現在利用している,あるいは,これから利用すると考えられるサービスを踏まえ,医療か介護かの選択を,利用者とともに十分話し合いながら行なえるようになった。「とりあえず,看護師さんだけ来てくれればいい」と言う利用者の場合,申請は急かなかった。あまり大きな声では言えないが,医療保険で行なう利用者が1人でも多い方が,ステーションの経営も助かった。もちろん,あくまで利用者の立場に立って,最善と思われる選択をした結果である。必要であれば,介護保険の申請やケアプランの作成,およびサービス提供のための業務の調整や事業所への依演,交渉など,すばやい対応を常に心がけた。

●利用者負担増,でもステーションは減収

 介護保険で訪問することが決定したら,今度は時間の設定である。訪問看護1(30分未満・4250円)か,2(1時間未満・8300円)か,はたまた3(1時間半未満・11980円)か。3はほとんどなかったが,それまでの経営状態を維持するためには,2が必要であることは明白だった。しかし,年金で細々と生活しながら「老老介護」で頑張っているお宅,普段の訪問時間が35分くらいという微妙な時間のお宅,話がやたらと長くて帰るに帰れず,足が痺れてしまうほど時間ばかりかかってしまうお宅など,ついつい心が痛くて訪問看護2には設定できなかった。それまで老人保健での利用料が250円だったこともあり,それが830円になるのが忍びなかった。したがって,訪問看護1の425円で手を打った。緊急時訪問看護加算の1370円も,非常につけにくい値段ではあったが,これがないと閉店せざるを得ない事態になりかねないので,できるだけ了解をいただき加算させていただいた。

 こんな親切な(?)ステーションだったので,出てきたレセプトは当然落ち込んだ。利用者の負担は増えるのにステーションの収入は減る。双方にやさしくない介護保険だと思い,せめて訪問看護ステーションだけは,介護保険サービスから外してくれ−!と心から願った。

ケアマネジヤー様

介護保険という冷たい向かい風にさらされて,この先いったいどうなることかと不安であったが,開始から2〜3か月も経過すると,訪問看護ステーションを持たない他の事業所のケアマネジャーからの依頼が増え,市の介護保険課の窓口からの相談や,依頼も来るようになってきた。

 介護保険制度になる以前は考えられなかった,他の事業所やケアマネジヤーとの交流,市役所等への頻回な出入り。利用者にとって,受けているサービスは変わりないのに,そのしくみが変わって,在宅サービス業界の中で繰り広げられる,持ちつ持たれつのこの奇妙な関係。世の中の変化をひしひしと感じながら,依頼があれば断ることなく受け入れ,コツコツとサービスの提供に努めた。おかげさまで,ステーションの収入は3か月目には回復し,その後は,時期によって多少の波はあるものの,まずまず安定した状況が続いている。

 訪問宅との信頼関係もさることながら,「わくわくさんに頼めば安心して任せておける」と言っていただけるように,ケアマネジヤーからの信頼を得ることも,生存競争の中で生き残るために重要だとしみじみ感じている。正直なところ,看護師という商売も楽じゃないと思うようになった。

●質と適正さを保つための“限界,

 行き届いたサービスを提供するためには,ある程度のゆとりも必要である。訪問先で,時間どおりにことが運ばない場合もあるし,緊急時の対応もしなければならない。時間のゆとりがなければ心のゆとりも失いがちになるし,移動時間の車中も,ハンドルを握ったとたん180度性格が変わり(これはいつもか?)危険である。精神的ストレスが溜まれば記録も溜まる。看護師3名,作業療法士1名の当ステーションでは,患者数45〜50名,ひと月の訪問件数にして250件前後という現状が,良いサービスを提供するための限界と感じている。

 本来,介護保険サービスは,利用者と事業者との契約で成り立つものだから,利用者が訪問看護を希望してくださるのであれば,よほどの理由がない限り,サービスを提供するべきだと思っている?だが,どこの事業所も飽和状態になりつつある今,利用者のニーズを満たすべく,適切なサービス内容の把握やそれに合ったサービス事業所の選択,利用者への説明等,ケアマネジヤーの力量がさらに問われる時期になっているのではないだろうか。ケアマネジヤーとの関わりは,活動していく上で欠かせないものであり,利用者と同じくらいに付き合いを大切にしなくては,と思ってはいるのだが,少々頼りないケアマネジヤ←を前にすると,余計な口出しをしてしまうのは直りそうもない。

必要とされるステーションであるために

●利用者のためなら〜エンヤコラ〜

 患者数は45名前後まで増え,ステーションの経営は黒字街道を走っているわけであるが,今までの状況は「あまり威張っては言えない黒字か,それとも,まずまず胸を張って言える黒字か?」と経理担当に聞いたところ,「立派なもんですよ」と言っていただいた。良くここまでやってこられたものだと自己満足に浸りながら,周囲の皆様に感謝しているのだが,毎日が忙しくなると徐々にイライラが募ってくる。先日,「週2回の入浴介助をお願いします」とケアマネジヤーから依頼があった。さすがに厳しい状況だったので,1回ならまだしも2回は無理と,ステーション開設以来,初めてお断りさせていただいた。もちろん余裕がないからお断りしたのだが,「まったく! うちは訪問入浴サービスの事業所じゃないのよ!」と心の中で生意気なことを思ってしまった。これはよくない。初心に帰らねば,と家に帰って布団のなかで反省した。

 余談になるが,少々言い訳をさせてもらいたい。うちのステーションは自宅の風呂での入浴介助が多い‥…ような気がする。他のステーションの実情がどうかはわからないが,適所サービスにはなじめない内弁慶の男性方,体力的に通所が困難な方,庭や家屋のスペース事情で訪問入浴車が入れないお宅,根本的なところでは訪問入浴サービス事業所の不足等が理由だろうと勝手に分析している。しかし,入浴でお困りの方を目の前にすると,ついつい言ってしまうのである。

 「お風呂場を貸してもらえるなら,私がお手伝いしましょうか」

 (あっ,言ってしまった)

 かくして,自分で自分の首を絞めたやさしい看護師さんたちは,首からタオルをぶら下げて,これでもかとめくり上げたジャージからは,その太くて美しい足をさらけ出し,3人それぞれに,毎日誰かの入浴介助に勤しんでいるのである。

●変化の波の中で,必要とされ続けるために

 昨年10月,老人医療の自己負担が1割になる時,「どれくらい患者が減るだろう」と,理事長がとても心配していた時期があった。

「そんなに変わらないでしょ−」

「お前らはのん気でいいな」

 なんて会話をしたものである。確かに当法人をしょって立つ経営者と違い,我々は雇われの身なので,理事長から比べてのん気なのはしょうがない。しかも,この件は,ほとんどの利用者が介護保険,残る医療保険も,1名を除き公費角担でサービスを提供しているから,ステーションにとっては何ら影響のないものであった。だが待てよ,クリニックとステーションの請求書をまとめて,利用者宅へ持って行くのは私たちである。利用者は合計金額こそ気にするが,請求書の区別はあまり認識していない。これはもしかして,「あんまりお金がかかるんで…」なんて,ステーションにも悪影響を及ぼすかもしれないと,少々懸念された。しかし,幸いなことにクリニックとともに,この患者減少の危機は免れたようである。

 この時期,ふと思った。医療費が高くなるからといって,断られるような在宅医療や看護を提供して来たわけではないでしょう,と。そして改めて思った。医療も介護も,今後どう変化していくか分からないなかで,利用料うんぬんごときでぐらつくようでは仕方ない。胸を張って存在し続けるステーションでありたいと思う。そのために,看護師として何が必要かと考える時,本に書いてあるようなこと,訪問看護師としては当然のことしか浮かばない。ちなみに,総合的な判断力,高度な看護実践能力,教育・指導的能力,調節機能,協調性,研究・開発・創造性といったことだ。

●在宅はKKD?


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