訪問看護と介護〔第9巻・第3号〕
医学書院  管理者日誌 K 最終回
アスムスの輪
医療法人アスムス
わくわく訪問看護ステーションゆうき
平 澤 由美子

 今回でこのリレー連載も最終稿となった。総括的意味を込めて「アスムスがあってよかった」という話をしたいと思う。

ショートステイ大作戦

 介護保険が導入されて間もないころだった。他の事業所のケアマネジャーさんがステーションにやって来て,そのまま強引に連れて行かれたお宅があった。古い日本家屋の奥の部屋に寝ていたKさんは,まさしく廃用症候群だった。目も耳も不自由なため,発語もほとんどないという。少し前から食事が摂れなくなったそうだ。

 いろいろなお宅を訪問しているうちに,かなり悲惨な患者の状態にも,びくともしないほど神経はずぶとくなっていた。しかし,何の在宅サービスも受けず,正確には受けられることを知らず,当然介護に関する何の知識も与えられないまま,閉鎖的な環境のなかで,暗い療養生活を送っている人は,実際のところまだまだたくさんいるのだろうと思うと,胸がしめつけられた。

 持ち前の明るさで,今までたった1人で介護を頑張ってきた嫁は「元気になってほしい」と願っており,食欲低下に慌てたケアマネジヤーは「なんとかしてください!」と私に要求するのだった。

 <そう言われてもな−……。ステーションは病院じゃないし,第一私は医者じゃない>

 と心の中でつぶやいた。だが,この状況は医者じゃなくても容易に診断がつく。明らかな脱水だ。そしてやるべきことはまず点滴だ。

 早速,聞くところによると,本当に具合の悪い時には往診しないが,月2回,元気な時の訪問診療は欠かさないという主治医のもとに出向き,Kさんの状態を報告した。アスムスの医者ならソッコーで「1本いっとく?」なんて,まるで栄養ドリンクを飲むような,指示とも言えない点滴の指示が返ってくるものだが,当然そんな返事は来るはずもない。あげくの果てにこう言われた。「あの人は寿命だから,そういう人に点滴をするのは,僕は好きじゃないな」

「・・・・」

 <あ〜ヤダヤダ。こん価値観も感性も違う医者と患者を看ていかなきゃならないなんて!>

 ぶつけようのない怒りを抱え,衰弱しているKさんを目の前にしながら,どうしたものかと考えあぐねた結果,「そうだ,ショートステイがある」とひらめいた。これなら医師の指示なんてなくても,ケアマネジャーの権限で決行できる。早速,ショートステイ大作戦を発動した。

 場所は当法人の介護老人保健施設「生きいき倶楽部」である。事情を話すと中村看護部長は女神のようなやさしい微笑を浮かべ,快く引き受けてくれた。そしてKさんは理解ある当法人の医師のもと,全身潤うほどの点滴を受けた。施設のケアスタッフは,1口ずつ丁寧に食事介助をしてくれた。入浴により皮膚の状態も改善され,体力を取り戻し,1週間後自宅に戻った。主治医に「寿命だから点滴はいらない」と診断されたKさんは,毎週デイケアを利用しながら,今なお元気に在宅で過ごしている。

デイケア(適所ケア)は早期異常発見器

「ねえ,今日Aさん,具合悪くてデイケア休みなんだけど,大丈夫かな」とデイケアを担当する赤木さんが,朝からステーションにやって来た。「えっ?昨日行った時は元気だったけどな」と思いながらAさんに電話をかけてみると「いや−,今朝はちょっと寒かったから,億劫になっちゃって」

 と笑っている。ずる休みだ。それなら構わないが,本当に具合が悪い時もある。医師や看護師を呼ぶほどでもない,と勝手に介護者が判断し,遠慮も先立ってステーションには連絡してこないこともある。だから赤木情報がなければ,デイケアを休んでいることすら知らず,いつの間にか状態が悪化してしまうことも起こりえる。

 また,デイケアに来るには来たが,熱があったり,血圧が高かったり,入浴の際に,皮膚の状態を観察したスタッフが,背中にブツプツができているとか,がさがさで痒がっているようだとか,実に細々としたことまで報告してくれる。わざわざケアカンフアレンスなどと大げさに場を設けなくても,廊下の真ん中でもトイレの前でも,すれ違いざまにデイケアスタッフと話ができることで,利用者の異常の早期発見や,状態悪化予知に大いに役立っている。ただし,話した内容を記録に残すことを心がけないと,ただの井戸端会議になりかねないが。

 逆のパターンもある。デイケア利用者のほとんどは,デイケアヘの参加をとても楽しみにしている。ちょっとくらい調子が悪くても,お風呂に入りたいとか,入浴はできなくても行くだけで楽しいからと,ちょっと無理してやって来ることもある。なかには日中独居なので,調子は悪いがデイケアに行って状態を観察してもらえたほうが安心,という場合だってある。そんな時は,デイケアスタッフに一言申し送っておけば,万全である。熱型はどうだったのか,入浴はできたのか,昼食はどれぐらい摂取できたのか,飲水量はどうだったかなど,その日の状態を全て把握してもらえて,報告を受けられるのだ。また,ちょっと不機嫌だから気を遣ってもらいたいとか,膝が腫れているから移乗には注意してほしいとか,足の魚の日の絆創膏を貼り替えてなど,訪問看護だけでは途切れてしまうことでも,デイケアとの連携によって継続が可能となる。

ヘルパーたちの憂鬱

 ステーションの間仕切りを隔てたすぐ隣に,自称・美人ヘルパーが3人いる。年の功(?)でそれはそれは頼もしいヘルパーたちである。

 訪問看護と訪問介護を利用していたTさんは妻と2人暮らし。呼吸器疾患で在宅酸素療法を受けており,「苦しい……」と言いながらもしゃべり続ける寂しがりやのおじいちゃんである。

 このTさん,「ど−も!ばあさんがいねぇんだよ。こわくって(苦しくて)しゃあねえから,誰かすぐ来てくれっか」と,元気な声でちょくちょくステーションに電話をかけてくる。そんな時,ヘルパーたちの誰かが私の目に止まってしまったらもう最後。「とにかく行って!」と,訳のわからない訪問依頼を受けることになる。彼女が急いで飛んでいくと,おばあちゃんはたいがい畑から戻っていて,Tさんはといえばにこやかに「お茶でも飲んでけよ」と叫んでいる。今は亡きTさんに,ヘルパーも看護師も,そして医師たちもずいぶん振り回されたが,これも立派な連携プレーだと思っている。

 在宅での生活を続けていたMさんが,天に召されるまでいよいよ秒読み段階となったある日のこと。午前中に訪問し,必要な処置やケアをしっかり済ませた私は,帰り際,妻であるおばあちゃんに、「今日はね,もうヘルパーさんに来てもらうような状態じゃないから,私のほうから断っておこうか?」と,気を遣って進言した。すると,「ううん,来てもらってね,身体もう一度拭いてもらいたいの」と言う。「えっ?」と思ったが,これもヘルパーさんたちが築き上げた信頼関係のたまものだと敬服し,ステーションに戻り,ヘルパーに訪問依頼を伝えた。

「私も(身体は)拭いたんだけどねー,ヘルパーさんにやってもらいたいって言うから,予定どおり訪問お願いね。あっ,そうそう,息が止まったら電話してね」

「・・・」

 担当ヘルパーはフリーズしていたのだが,臨終の場面にまでお世話できるヘルパーなんて,介護職冥利に尽きるだろう,と励まされて,勇んで出かけた。

 私たちのそばに居るせいで,彼女たちは憂鬱な日々を過ごしているかもしれないが,看護師たちは助かっている。もちろん利用者が一番助かっているはずだが。

小部屋のママ

 事務所が少々狭いので,小部屋と呼ばれる相談室に,頼りになるケアマネジヤーがいる。利用者も介護者も,そして各部署のスタッフに至るまで,丸ごと面倒を見てくれる大きな包容力ゆえ,皆から「ママ」と呼ばれ敬愛されている。訪問看護師も利用者も頼りにしていて,ほんとうに任せて安心なのである。

 先日,入浴介助を始めるにあたり,必要なものがあった。そこで「お風呂で使う台がほしいんだけど,ママ買って」とおねだりしてみた。たったその一言で,いつの間にか,家族と業者とのやり取りを終え,申請の手続きなどややこしい連絡調整は,ほとんど私の知らぬ間に済んで,その台は設置されていた。

 大きな声では言えないが,そもそも,ケアマネジヤー業務は私の性に合わない。確かに兼務はしているものの,煩雑な実務作業に大きな精神的苦痛を感じる。だから彼女とペアを組んで仕事ができる最大の利点は,なにより私が楽できること。いやいや,そうではなくて,訪問看護に専念できるということである。

STのお姉ちゃん

 施設内には大学を卒業したばかりのキュートな言語聴覚士(ST)が1人いる。STという仕事はそもそも社会的認知度が低く,当然ながら,高齢の利用者からその役割を正しく認識してもらっているとはいえない。しかし,あちこちに顔を出しているので,たいがい「ほら,あのお柿ちゃん」で話は通じる。もう私にはついて行けそうもない,今時のお姉ちゃんではあるが,利用者に対する愛情はたっぷりと持ち合わせているようである。在宅でも,言語療法が必要だと思われる患者さんの相談をすると,快く受けてくれる。訪問にも出かけてくれる。

 残念なことに,現在,STによる訪問に対して診療報酬は設定されてないので,このお柿ちゃんにとっても法人にとっても,訪問によって得られる収入は全くない。それにもかかわらず理事長は,彼女が在宅で活動することを容認してくれているし,彼女自身,文句も言わず,コツコツと訪問を続けてくれている。本当に貴重な存在である。この明るいお姉ちゃんのためにも,ぜひPT(理学療法師)やOT(作業療法師)同様,訪問による診療報

酬の算定を認めてもらいたいものである。

医者らしくない医者

 先日,ショートステイを依頼したい患者がいた。ところが,施設側のもろもろの事情が重なり,その日は「送迎に出られるスタッフがいないから」と断られた。私がプンプン怒っていると,運悪くそこにやって来た理事長が「人がいないの? 俺が運転して行こうか?」と言った。「あんたね−,秒単位で動いているような人間でしょ。いったいどこにそんな時間があるっていうのさ!」と思ったが,そんな自分の立場も忘れて,何のためらいもなくサラッと出てきたこの言葉がうれしかった。顔を合わせれば「やあ,久しぶり」と挨拶をするくらい,なにやら本当に忙しい理事長だが,あくまで利用者本位を忘れない。

 他にも,看護師の指示には素直に従い(?),いつも笑顔を絶やさない穏やかなY医師,患者を愛しそうに見つめ,最良の医療を提供しようと努力してくれる若手のT医師。利用者と違和感なく,姿かたちまで溶け込んでいる長老T医師らに囲まれて,好き放題に楽しく仕事をさせてもらえるのもありがたい限りである。

双葉の行方

 訪問看護師がいくら頑張っても,ステーションだけではどうにもならない在宅ケアは,各部署との有機的な関わりによって支えられている(ちなみに,私がのほほんと管理者をやっていられるのは,うちの優秀なスタッフに支えられているからだ)。ただ,ここで,同一法人内でサービスが独占されてしまうことへの賛否はあると思うし,実際業務上支障をきたすこともある。利用者のニーズ にそったサービスを,全て提供するゆとりがない時などは,積極的に他の事業所のお世話になることも,もちろんある。だが,それぞれの部署がその役割と機能を果たし,ベストを尽くしたサービスの提供ができるなら、利用者にとってこれほど良い連携プレーはないと確信している。

 これは,現医療法人アスムスの出発点,おやま城北クリニックのマークである。就職したとき,「大地から,在宅医療と訪問看護の芽が出たとこなんだよ」と,マークに込められた意味を教えてもらった。この双葉を,私も大切に育てていこうと思った。設立から13年,小さな双葉は本莱を増やし,蔓はどこまで伸びただろう。つぼみは大きく膨らんで,きれいな花を咲かせたのだろうか。花は枯れてしまっても,やがてたくさんの種をこぼす。そんなことを考えながら,日々訪問を繰り返し,アスムスの輪が,日本の在宅ケアの輪になってもっともっと大きく広がることを祈っている。

 最後になりましたが,1年間,私たちのつたない文章にお付き合いいただき,有難うございました。貴重な時間を割いて読んでくださった皆様,そして,言いたい放題,書きたい放題の原稿を掲載してくださった編集室の皆様に,深く感謝いたします。


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