訪問看護と介護〔第9巻・第2号〕
医学書院  管理者日誌 J
退院指導に物申す
医療法人アスムス
わくわく訪問看護ステーションおやま
小薗江 一 代

すでにこの連載で書いたが,私は,訪問者護師に転身する前は大学病院の病棟看護師だった。看護科を卒業した後は,保健師など新たな資格挑戦のために進学するか,そのまま就職して現場にでるか,選択肢は限られている。振り返ってみると,私は「看護師として何がしたいか」を明確に意識して病院を選択したわけではなく,病棟看護師としての日々の仕事を通して,自分のやりたいことがはっきりと見えてきたのだった。そして,今,在宅医療の現場にいる。ここには病院勤務だけでは決してわからなかったこと,気づかなかったことがたくさんある。

 強烈に感じたのは,「医療者は疾患だけを看ていて,人間を看ていなかった」ということだ。入院生活はその人の人生の切り取られた一部でしかない。退院してもその人は存在し,日々の生活を送っている。この事実が病院では忘れ去られている。もちろん,病院には疾病の治療という最大の目的がある。だが,だからと言って,患者個人のあり方に目をつぶっていいはずがない。強く自己主張するような患者は「わがまま」とレッテルを貼られ

ている。最近の流行で,「患者」を「患者さま」やら「利用者さま」やら呼称を変えて,さも大切に扱っているようにアピールしているが,はたして実体が伴っているのだろうか。私の執筆は今回で最後になるので,言いたいことをまとめて言ってしまおうと思う。

退院指導に物申す

 脳梗塞後遺症で嚥下障害があり,誤嚥性肺炎の危険があると判断され,気管切開して,気管カニユーレを入れたまま退院してきた74歳の男性の訪問を引き受けた。言うまでもなく,医療依存度の高い患者だ。介護者は妻と嫁だった。入院先の病院からは看護要約をいただいていなかったので,さっそく介護者に病気の経過などを開き,吸引の手技,カニユーレの管理についてどの程度理解しているのか確認した。すると,吸引はとりあえず習ってきたが,カニューレを固定するカフの空気量すら知らなかったのである。誤嚥性肺炎を予防するために入れているカニユーレだから,カフェアが抜けていたら命取りである。最も重要なことを介護者は何も知らなかったのだ。

「え〜つ!肝心なこと教えてもらってないの!?」と言いたい気持ちをグッとこらえ,カフェアの確認の仕方,カフェアの確認が毎日必要であること.その重要性を説明した。話を聞いていくうちに,他にもいろいろなことが指導されていなかったり,たとえ指導されていても十分に理解されていなかったり,聞いてはきたが,家ではどうしたらよいかわからず不安に思っていることが,それはそれはたくさん出てきた。

 私も病棟勤務だったころ,たくさんの方に退院指導を行なってきた。個別性を考えて,食事指導などは食事を作る方に来てもらって説明した。わかりやすい言葉を選んで,理解度にあわせて話をしたつもりだ。しかし,それがどう伝わったか,実際の生活でうまくやっていけそうか等の確認はしていなかったなあ…・‥と気がついたのは,在宅の場に移ってからだった。「退院指導は,家に帰ってからの生活に見合ったものでなくてはならない」と,どの文献にも当たり前のことが偉そうに書かれている。だが,それができているか,確認する方法は書かれていないし,確かめる機会はないのが現状である。

 その最たるものが,「体位変換は2時間おきに」「経管栄養は1回を3〜4時間かけて6時間ごとに」等である。病棟ならば,2交替3交替の勤務で,夜起きていても,昼間寝ていたりするから可能なのであって,在宅で家事をしながら介護している人に,同じようにするよう指導するのは配慮が足りない。「病院で言われてきたけど,とてもできない。その場の雰囲気では,わかりました,と言ったものの……」と自分を責めている介護者に出会ったことも何度かある。

 そんな時,私たち訪問看護師だからできることは,病院での退院指導を,その方の生活に添ったものにアレンジし直して,もう一度指導することである。在宅療養にゴールデンスタンダードはない。それぞれ療養者の生活にあった方法で,100人の療養者がいれば,100通りの生きざまがあるのだから,100通りの方法でなされるべきだ。そして,もし介護者がダウンしてしまえば,それ以上の在宅療養の継続は困難になる。私たちの強みは,病棟の看護師と違って,療養者それぞれの生活を知っていることだ。私たちが求められている看護の技術レベルは,マニュアルどおりの病院看護と比べて上級編だと信じている。いかに生活に活かしていけるかが重要なスキルとなるのだ。

 いつのまにか介護が生活の一部になってしまえば,介護者はそれほど強く負担とは感じなくなる。そこにいかに早く到達できるよう援助するかが,訪問看護師の役割である。いろいろな家庭を訪問し,さまざまなケースを知り、膨大な情報として体験が蓄積されている。患者の病状だけを看るのではなく,取り巻くすべての生活を看ていくのが仕事なので,たとえばおむつなら,どのメーカーのどのサイズが合うのか,どこの店が安くて品揃えが豊富かなど,そんな情報の提供こそ,介護者の負担を軽減する一助になる。医者にはできない,細やかな心配りが訪問看護師の武器だと思う。

 幸いにして,私が訪問を始めたころと比べれば,介護保険のおかげで,安価でエアマットなどがレンタルでき,2時間おきに体位変挽をしなくても褥瘡を予防できるようになった。患者も介護者も夜はグッスリ眠れる。介護用品や介護機器の発達が,在宅療養者にも医療者にとっても在宅療養を支える力強い味方となっている。

「告知」に物申す

 最近は「自己決定権」という言葉が流行のようだ。それに伴って,「告知」ブームが起きているように思う。欧米直輸入の「告知」は善いことだともてはやされているが,ちょっと待ってほしい。欧米人と日本人の思考回路は同じではない。欧米では,子どものころから,教育の現場で自己決定のトレーニングを受けていると聞く。日本人はどうだろうか。ひと昔前まで「嫁しては夫に従い,老いては子に従え」と自己決定とは無縁の慣習のなかで生活をしてきた。そんな人に,自分のことは自分で決めるのが当たり前だからと,安易に告知してしまっていいのだろうか。その後パニックに陥ることは容易に想像がつく。

 そして,日ごろ健康な人は,自分が病に倒れた時のことなど全く考えずに生活している。「がんになったら告知してほしい」と言っている人の中でも,その後自分はどうしたいか,具体的に考えている人は少ないように思える。喫煙者は肺がんの罹患率が高いことは周知の事実であっても,喫煙している人はいくらでもいる。肺がんになったら,自業自得だと思っているのだろうか。そうではない。自分は大丈夫,肺がんにはならないと漠然と考えているからに違いない。喫煙暦30年の人に「肺がんですね。煙草を吸っていたのが原因でしょう」と医者から言われ,「あっ,やっぱり予定通りがんになりましたか。30年も吸ってましたからね」とがんを受容できる人が何人いるだろうか。

 中途失明で80代の女性利用者がいた。我慢強く,とても穏やかな方だった。その方が,しばしば背腰部痛を訴えるようになってきた。徐々に痛みは増強し,我慢の限界を超えているようだった。採血の結果,腫瘍マーカーも高値を示し,肝胆道系がんであることは明らかで,骨転移も疑われた。家族は病名告知を強く拒み,がんの積極的な加療も否定した。光を失ってからの,社会から隔絶された長い暮らしを知っている家族だからこそ慮ることのできる,彼女の生きざまを最大限考えての結論だった。早速,在宅ホスピスケアの体制を整えて,鎮痛剤の坐薬や安定剤などを併用し,緩和ケアに努めた。

 しかし,彼女は徐々に人間不信に陥っていった。全盲という障害のためか,周囲の気配に敏感であった。隠しごとがある異様な雰囲気を感じ取っていたに違いない。この状況を何とかしたいと,私はカンフアレンスで「告知」を提案した。真実を伝えることで,彼女の疑惑が晴れ,闘病意欲を再度持ってくれるのではないかと考えたのだ。しかし,周囲の答えは「No」だった。赤木さん(本誌7・8月号執筆)の意見はこうだった。

「突然,告知をするということは,その現実を本人に背負わせることだ。こころの準備なしに告知して,その後どのようなことになるか,他人の私たちにはとても想像できない。全盲の暗闇の中,医師の顔も看護師の顔も見られずに1人で苦しむことになる。痛みと不安で人間不信になって,家族への信頼感が薄れているこの時期に,あえて告知して楽になるのは関わる医療者だけではないか」この言葉にハツとさせられた。告知は,本人だけの問題ではない。告知を受けた患者を取り巻く家族が,それを支えるだけのカをもっているのか,拒絶や怒り,悲しみをぶつけてくる患者を医療者は受け止める覚悟があるのか,そこまで考えに入れて「告知」をするべきなのだと気づかされた。

 腎がんの骨転移で,放射線療法を受けて退院した50代の男性は,病院で告知を受けていた。彼は人付き合いがよく,明るいタイプだと聞かされていた。しかし,初めて訪問した時はまるで別人だった。怖い顔で「俺はがんなんだってよ。知ってる? 誰でもいいから,痛いのだけとってくれないかな」と初対面の私にいきなり言った。いままで何例もターミナルケアの経験があったが,初めてのタイプだった。おそらく不安と恐怖,やりきれない気持ちでいっぱいなのだと想像できた。

 主治医の治療方針や訪問看護の内容の説明などをして,コミュニケーションをとろうと努力したが,投げやりな態度だった。元気だったころのことに話が及ぶと,やっと重かった口を開き,以前の彼を坊彿とさせるような饒舌に変わっていった。

 どうして彼はこんな態度をとるようになったのだろうか。入院中のできごとを妻が話してくれた。すぐ治るつもりで入院した。ところが,いきなり医師にがんの告知を受けた。ベッド周囲のカーテンをひき,周囲との交流を拒んで落ち込む彼に,医療者は誰も手を差し伸べてくれなかったのだと言う。彼がもっとも信頼を寄せた医師も,形式的な回診以外は病室に来ても彼を避けるようにし,看護師までもが腫れ物に触るような態度で,検温や配薬の時を除いてはカーテンすら開けなかったそうだ。

 彼は鬱憤を全部吐き出して,「看護師さんて,みんなそうなんかな」とさびしげに呟いた。「受け持ちは私だから。いつでも私がここにくるよ。文句言われても,怒られてもね」と,とっさに答えると,初めて笑顔をみせた。彼には時間がない。こんな気持ちのまま,彼が逝ってしまうのはあまりにもさびしい。彼の閉ざした心をまず開いてもらおうと,求めに応じて休日も訪問した。わずか3週間の付き合いだったが,いつのまにか不満を口にすることは少なくなり,冗談を言って家族を笑わしたり,わがままを言って困らせたり,本当に彼らしく過ごせたと信じている。

 今の流行りだから,といった安易な告知を受けた人たちは,気持ちの行き場がないまま,病院での治療はもう終わったからと,半ば医学の力に見放された状態で退院してくる。入院期間の短縮化で,こんなターミナル患者はこれからますます多くなるのかもしれない。そんな時,人生の最期を,本人・家族ともに悔いなく過ごせるようにコーディネートしていける、のは,きっと訪問看護師に違いない。もちろん専門職としての関わり方の基本は告知をされている,いないは関係ない。まず,本人・家族の不安を軽減させること,納得のいく医療を受けられるよう医師と連携し,患者が普段の自分でいられるように配慮して,家族も安心して介護できる環境を作るなど,やることはたくさんある。その人のもっとも大切な時期に関わらせていただくという自覚をしっかりもって,自分のもてる力を最大限に発揮しなければ失礼になる。死と隣り合わせという現実を背負った患者,必死に頑張っている家族。私たちは,医療の知識や看護の経験,そして熱い気持ちがあればきっと支えていくことができると確信している。

物申しついでに

 介護保険が導入され,3年が経過した。福祉用具が安価でレンタルできることや,福祉タクシーの利用など,在宅ケアを推進していく上での成果はあがっているように思われる。しかし,訪問看護の面ではまだまだ問題が山積みだ。必要と思われる医療を提供するのに介護保険の支給限度額という枠を気にしなくてはならない。医師の指示書をいただくまでの労力,他職種との連携の困難さ等々・・・。本来の仕事以外に頭を痛めることがあまりにも多すぎる。

 また,訪問看護の意義を利用者に理解していただくにも時間がかかることが多い。ケアマネジヤーの基礎資質に関しても疑問が多いことは,本連載11月号で北野光枝訪問看護師が書いた通りだ。病気を持った人が,在宅療養をするのに,医療者の関わりが不要なはずはない。月1回だけの通院や,それどころか家族が受診し,その話を聞くだけで,何か月間も診察なしに処方箋を出し続ける医師もたくさんいる。受診すれば診てやるけど,往診はしないという医師がかかりつけ医として役に立たない指示書を出しているのだ。病院医師はある限られた曜日にしか外来患者を診ないことも多いし,連絡さえ取れないことが常だ。

 このような現状で,私たち訪問看護師は困った患者を目の前にして,何かしなくてはならない。明らかな脱水で,わずか点滴1本で元気になるはずでも,医師の理解が得られなければ点滴の指示すらもらえない。こんな閉塞感をいったいどこにぶつければよいのだろうか。ジレンマのなかで,自分が消耗していくのを感じる時もある。しかし,このままくじけてしまっては良い看護は提供できない。生命力を消耗するようなトラブルが起きないよう日常生活を整え,介護者が医療者の目をもてるように「一人前の介護者」に仕上げていく。頭の硬い医師のもとにも足しげく通い,訪問看護はここまでやれるんだという姿勢を見せていかねばならない。1つひとつは小さなことかもしれないが,とにかく継続していくことが,在宅ケアを変えていくのだと思う。笑われそうだが,テレビで訪問看護師が主役の在宅医療ドラマなんかが放映されると,一層効果があるのでは・・と密かに,そして真剣に考えている。壁は高くて厚いが,後に続く後輩たちのためにも,頑張らねばならない。


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